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風流旅行
ふうりゅうりょこう
作品ID45361
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第六巻」 筑摩書房
2003(平成15)年5月10日
初出「新潮 第三十三巻第二号」新潮社、1936(昭和11)年2月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-12-09 / 2014-09-21
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 一ヶ月あまりは、またそれで旅に暮しても十分とおもつてゐたのに、私は迂闊にも自分が再び相当の飲酒者に立ち戻つてゐたのを忘れてゐた為に、二三ヶ所をわたり歩いて未だ二週間も経たぬ間に、もう国元へ電報を打たなければならぬ状態だつた。私は従来何んな類の旅の経験も知らない所為か、何処に泊つても滑稽なほど臆病で、財布のことばかりを気にしてゐるにも拘はらず、毎晩十二時過ぎまでも酒を飲まずには居られなかつた。飲んでも普段のやうに威張つた風な声ひとつ立てることもなく、何か心細気に、あたりの気合ひばかりを窺つてゐる容子であつた。私は登山袋ひとつの軽装に着換へて、地図をたよりに山を越えた。竜巻村の村長から兼て噂に聞いてゐたところの、風鈴湯といふ聴くだに今季うそ寒い山峡の沸し温泉を目ざした。余程仔細あり気な理由を考へつかぬ限り、旅費の追加を申し込み憎い折からだつたので、ひたすら風鈴湯の宿料の安価なことだけを目ざして道を急いだ。あたりの山々は紅葉に色彩れて、鵙の声が谿をわたつてこだまするおもむきなど、これが若し風流な旅の上であつたならば、脚をとどめて聴きとれるであらうのに――と私は残念であつた。稀に温泉にでも落着いたならば、案外仕事も捗るに違ひないと高をくくつて、貧しい兄弟のところに同居してゐる女房を慰めておいたのに、もう私は自分だけの始末も怪しくなつて来たのかとおもふと、風物などを楽しむ余裕はおろか、今にも蝋燭のやうに消え入つてでもしまひさうにつまらなかつた。
 私は、ローレンス・スターンの「風流旅行記」“The Sentimental Journey throuth France and Italy”といふ本を一冊携へて、自分も一ぱしのセンチメンタル・ツラベラと自惚れてゐたのであつたが、未だそれを半ばまでも読まぬうちに、最早自分は“The Vain Traveler”に貌変しさうな己れを憐れまずには居られなかつた。
 ローレンス・スターンは、その本の冒頭で凡ての旅行者を次の十種類に分別して、いかにも飄逸な筆を揮つてゐた。私は、それを書き抜いた紙片を壁に貼りつけて、言葉の空想に耽りながら夜を更したが、センチメンタルを風流とこじつけた以外に、未だ適当な邦語を見出してゐなかつた。さまざまな洒落と諷刺をふくめた憂鬱作家の魂胆は直訳語では感じ憎いので、私はもうそれは何ヶ月も前からその紙片を眺めては頻りと首をひねつてゐるのであつたが、何処に移つても忽ち滞在費の切迫に陥入つて、おちおちと仕事にも耽つて居られなかつたのである。

(1)The Idle Traveler.
(2)The Inquisitive T.
(3)The lying T.
(4)The Proud T.
(5)The Vain T.
(6)The Splenetic T.
(7)The Delinquent and…

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