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雪景色
ゆきげしき
作品ID45402
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「文藝春秋 第五巻第九号」文藝春秋社、1927(昭和2)年9月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-09-10 / 2014-09-21
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 滝は、あまり創作(小説)のことばかり想つてゐるのが重苦しくなつたのでスケツチ箱をさげて散歩に出かけた。――石段を降つて、又ひよろ/\と降つて行く海辺へ近い松林の中途であつた。彼は、風景よりも人通りを気にして小径を出はずれると頭につかえる松の矮林の中へ腰をかゞめて姿を没した。そして、丘の切れ端に来て月見草の間に胡坐をした。遥かの距離だが、灰色に光つてゐる砂地に風にもてあそばれてゐる風呂敷のやうなものが四つも五つも切りに堂々廻りをしてゐるので、何だらうと思つて見あげると低く大輪を描いて舞つてゐる鴎達の影であつた。
 暑い二日日の夕方、遠見の海のスケツチ板を仕上げて、だが滝は、たゞボーツとしてぶらぶら帰つて来ると石段の下あたりで彼の行衛を探してゞもゐたらしくうろうろしてゐる細君に出遇つた。
「今来たところなの? 遊びに来たの?」
「鯡鯉をつかまへるのを見に来たのよ、だけど、どうしてもつかまらないんだつて!」
「また……止めた方が好いんだがな。第一あんな泉水へ持つて行つたつて何の見栄えがするわけぢやなし、無惨に鼻を衝くばかりだらうがな――」
「だつて、その為にわざ/\掘つたんぢやないの、小さいけれど割合に深いから大丈夫なんだつて!」
「あれは何処かに土が入用で寄んどころなく掘つた穴だつて話だぜ。――金魚や駄鯉が少しばかり入つてゐるらしいが、あれで丁度好いと思ふがね。」
「だつて此処に置いたつて仕様がないぢやないの、誰かゞ此処に住むんなら未だしもだけれど、すつかり取り払ひになつてやがて此処には何処とかの倉庫が建つんだつて話ぢやないの――それともあなたに何か考へでもあるの?」
「ないね――」と滝は嗤つた。
「ないんなら黙つてゐらつしやいよ、変ね、何でもそこにあるものゝことには妙に冷たさうに――」
「…………」
「こゝも――」と彼女は蜜柑の樹がくれになつてゐるそこの家を見あげながら、何といふこともなしに可笑しさうに云つた。「これでいよ/\近いうちに片づくらしいけれどあなたはつまらないでせう、一文にもならないんぢや!」
「思ひ出は、あまり、無い家だからな、これは――」滝はそんなことを云つた。
「でも、もう、これであなたはさつぱりでせう、いよ/\お終ひね。」
「さうだらうね――」
「鯡鯉が残つたわけか!」と彼女は独語らしく呟いた。「焼けないと思へば此処の家には道具はなんにもないし――それでもあなたいくらかセンチメンタルな気分がしやしないこと、例へば鯉のことなんかに就いてさ。」
「どういふわけか――」と滝は生真面目らしく沈着な態度でうなつた。「何の感じもない、吾ながら不安を覚える程――」
「自分の仕事にだん/\身が入つて来るからでせう、結構だわ。」
「うむ。」
「一ト頃のやうに、此頃はあなたが愚痴を滾さないので――お母さんもそれが何より安心だと云つて悦んでゐたわよ。」

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