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競馬の日
けいばのひ |
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作品ID | 45421 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房 2002(平成14)年5月20日 |
初出 | 「祖国 第二巻第十二号」學苑社、1929(昭和4)年12月1日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-08-10 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 21 ページ(500字/頁で計算) |
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一
眠つても眠つても眠り足りないやうな果しもなくぼんやりした頭を醒すために私は、屡々いろいろな手段を講じる。
頭がぼんやりしてゐると私は、いつも飛んでもない失敗を繰り返す癖に怖れをもつてゐたからである。
「うんうん――と、はつきり点頭いてゐたから約束通り僕は今迄停車場で待つてゐたんですよ。がつかりしちやふな、ほんとうに未だ寝てゐるなんて酷いや!」
森だ! と私は、吃驚りして寝台から飛び降りた。が、思ひ返すと、とても具合が悪くなつたので、そつとまた寝床にもぐり込んで眠つてゐる振りをしてしまつた。――綺麗な天気らしい。窓掛けが瑠璃色の陽を一杯含んでゐる。
「まあ、そんな約束をしたの! あたし達ちつとも知らなかつたわ。あたし達が知つてゐればそんなことはなかつたでせうにね。」とユキ子が答へてゐた。
「あいつ等に云ふと、一処に行きたがつたり何かして厄介だから、二人で黙つて行つてしまはう――そんな約束だつたんですよ。」
「まあ酷い。罰だわ!」
「お蔭で僕は、今日一日を台なしにしてしまつた。」
本の包みでも投げ出したらしい音がした。その音が私の胸を痛く打つた。森は、汽車で東京へ通つてゐる大学生である。私は、前の日に森と一処に野球試合を見物に行かうといふ約束をしたのをすつかり忘れてしまつたのである。
「ぢや、あたしが御馳走するわ、晩まで遊んでいらつしやいよ。」
「つまらないけれど、さうするより他はないさ……」
「あんな酷いことを云つてゐる!」
――私は、半身を起して首を振つて見た。相変らず夢のやうにぼんやりしてゐる。斯んな頭で他人に会ふと私は、更に何んな失敗を繰り返すか計られない。
森だから好かつたものゝ! などゝ呟いで私は胸を撫で降した。――その上私は、はつきりした頭をとり返さないと自分の仕事が出来ないのだ。
「途中で行き違ゐになりはしないかと思つて僕は、びくびくしながら来て見たんだよ。」
森は、未だそんなことを云つてゐる。森は、此処から三四駅上りに寄つた私の家族なども住んでゐる町に居るのだ。
「行き違ひになつたら、なつたで好いぢやないの。」
気のせいか幾分声を忍ばせたらしい調子でユキ子が云つた。
私は、ユキ子と森の表情を想像した。
「…………」
森の返事はなかつた。
私は、起きて其方へ現れる勇気がつかなかつた。
「ともかく斯う頭が、ぼんやりしてゐては救からない。」
と私は呟いだ。
私は、そつと寝台から降りて着物を着換へると、泥棒のやうに足音を忍ばせて窓を乗り超えた。そして裏庭をまはつて台所口から覗くと、四五日前から来てゐる妻が歌をうたひながらジヤガ芋の皮をむいてゐたので、私は口をおさへて、そつと、そつと! と臆病な眼つきを動かしながら、手振りで、靴を持つて来て呉れ! といふ意味を伝へた。
「ちよつと散歩に行つて来るよ。」と私は、声が潰れた者の…