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或る五月の朝の話
あるごがつのあさのはなし
作品ID45431
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第二巻」 筑摩書房
2002(平成14)年3月24日
初出「文章倶楽部 第九巻第六号」新潮社、1924(大正13)年6月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-05-16 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「シン! シン!」
 夢の中で彼は、さう自分の名前を呼ばれてゐるのに気づいたが、と同時にギュツと頬ツぺたをつねりあげられたので、思はずぎよツとして眼を見開いた。――Fが酷い仏頂面をして彼を睨んでゐた。彼は、縁側の椅子に凭れてうたゝ寝をしてゐたのだ。
「失礼だ!」とFは叫んだ。「私はもう横浜へ帰る/\。」
「Fはあまり短気すぎるよ。」
 彼は、一寸具合が悪かつたので、云ひたくもない独言を放つて、椅子から身を起した。そして彼は、酷く六ヶ敷気な渋面をつくつて、自分だけのことを考へてゐるんだといふ風に、晴れた空を見あげた。五月の薄ら甘い朝の陽が、爽やかな感触で、さつき剃刀をあてたばかしの彼の頬にヒリヒリと、光るやうに沁みた。
「お前は若い梟だ。――お前は頭が鈍いから説明してやるが、私は愚といふ言葉の代りに梟を用ひたのだよ。」
 さう云つたFは、余程疳癪を起してゐたと見えて、二つの拳を胸の前で「馬鹿ツ!」と叫ぶ変りに、力を込めて打ち振つた。
「説明をするとは大変な侮辱だ。」と彼は、さもさも自分は物解りの好い男だといふやうな不平顔を示した。だが、まつたく彼は、説明なしに「お前は若い梟だ。」と云はれたならば、これを或る種の讚美と誤解したに違ひなかつた。
「私はお前に侮辱を捧げたのだよ。お前は軽くて上品な洒落の解らぬ哀れなジャップだ。」
「僕は洒落をもつて他人を嘲笑するやうな不正直は大嫌ひだ。」
 彼は向ツ腹をたてゝ斯う怒鳴つた。
「お前の父のH・タキノはお前に比べると何れ位ゐ交際が上手だか知れないよ。」
「無論僕は交際上手ぢやないよ。まして僕はお前の国の習慣なんて一つも知らないよ。」
「私と交際し始めて、もう二年になる。いくら梟だつて二年も実地練習をすればいくらか解りさうなものだ。」
「此方のことだつて解りさうなものだ。」
「解つてゐるさ、お前は怠惰で、そしておべつかつかひだらう。」
「おべつかつかひだツて! それは僕を讚めた言葉なのか?」
 正面でばかし、斯んなに無神経で饒舌のヤンキー娘に物を云つてゐるのは馬鹿々々しくなつたので彼は、こゝで気持を転換させて、狡猾に笑ひ返した。Fも、到頭噴き出して了つた。
「だが――」彼は、もう一息圧へて置いてやらうと思つて、真顔になつて「だが、僕はFが想像してゐるやうに、決して柔順なFのピエロオぢやないよ。」と云つた。
「もういゝ/\。」Fは、唇の端で軽く笑つて、彼の肩を叩いた。
 Fは、彼の家の珍客だつた。彼の父が米国に居た時Fの父とは学校からの友達だつた。Fの父が横浜に店をもつてゐたので、二年も前からFは日本に来てゐた。前から彼は、Fと知り合ひだつたが、外国人に対して非常に臆病な彼は、つい近頃までFと親しめなかつた。――Fが彼の家を訪れたのは、これが初めてだつた。もう一週間近く滞在してゐた。
 そんなお客が来るんなら私達は逃げ出さう…

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