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入営前後
にゅうえいぜんご
作品ID45452
著者黒島 伝治
文字遣い新字新仮名
底本 「黒島傳治全集 第三巻」 筑摩書房
1970(昭和45)年8月30日
入力者Nana ohbe
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-07-19 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 丁度九年になる。九年前の今晩のことだ。その時から、私はいくらか近眼だった。徴兵検査を受ける際、私は眼鏡をかけて行った。それが却って悪るかった。私は、徴兵医官に睨まれてしまった。
 その医官は、頭をくり/\坊主にして、眼鏡をかけていた。三等軍医だった。それが、私の眼鏡を見て、強いて近眼らしくよそおうとしているものと睨んだのである。御自分の眼鏡には、一向気づかなかったものらしい!
 そこで、私は、入営することになった。
 十一月の末であった。
 汽船で神戸まで来て、神戸から姫路へ行った。親爺が送って来てくれた。小豆島で汽船に乗って、甲板から、港を見かえすと、私には、港がぼやけていてよく分らなかった。その時には、私は眼鏡をはずしていたのだ。船は客がこんでいた。私は、親爺と二人で、荒蓆で荷造りをした、その荷物の上に腰かけていた。一と晩、一睡もしなかった。
 十二月一日に入営する。姫路へは、その前日に着いた。しょぼ/\雨が降っていた。宿の傘を一本借りて、雨の中をびしょ/\歩きまわった。丁度、雪が積っているように白い、白鷺城を見上げながら、聯隊の前の道を歩いた。私の這入る聯隊は、城のすぐ下にあるのだ。
 宿は、入営する者や、送って来た者やで、ひどくたてこんでいた。寝る時、蒲団が一畳ずつしかあたらなかった。私は親爺の分と合わして一つを敷き一つを着て、二人が一つになって寝た。私は、久しく親と一緒に寝たことがなかった。小さい時、八ツか九ツになるまで、親爺と寝ていたが、それ以後、別々になった。私は、小さい時のことを思い出した。親爺の肌も、皺がよって、つめたかった。たゞ昔の通り煙草の臭いだけはしていた。私は、一夜中、親爺のその煙草の臭いをむさぼるように嗅いだ。そして、私よりは冷い、親爺に一晩中、くっ付いていた。明日から二カ年間、どこへも出ることが出来なくなるのだ。

      二

 薄暗い、一寸、物が見分けられない、板壁も、テーブルも、床も黒い室へつれて行かれた。造りが、頑丈に、──丁度牢屋のように頑丈に出来ている。そこには、鉄の寝台が並んでいた。
 これがお前の寝台だ。とある寝台の前につれて来た二年兵が云った。見ると、手箱にも、棚にも、寝台札にも、私の名前がはっきり書きこまれてあった。
 二年兵は、軍服と、襦袢、袴下を出してくにから着てきた服をそれと着換えるように云った。
 うるおいのない窓、黒くすゝけた天井、太い柱、窮屈な軍服、それ等のものすべてが私に、冷たく、陰鬱に感じられた。この陰鬱なところから、私はぬけ出ることが出来ないのだ。
 軍服に着かえると、家から持って来たものを纒めて、私は外へ持って出た。
 呼出されるのを待つため、練兵場に並んだ時、送って来た者は入営する者の傍に来ることが出来ないので親爺と別れた。それから、私がこちらの中隊へ来ることを、…

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