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文壇球突物語
ぶんだんたまつきものがたり |
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作品ID | 45476 |
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著者 | 南部 修太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「サンデー毎日」 大阪毎日新聞社 1926(大正15)年2月28日 |
入力者 | 小林徹 |
校正者 | 大久保ゆう |
公開 / 更新 | 2016-06-22 / 2016-06-23 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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球突の球の響
アントン・チエエホフの名戯曲「櫻の園」の第三幕目の舞台の左奧手には球突塲がある心になつてゐる。舞台はいふまでもなく櫻の園の女主人ラアネフスカヤの邸宅の廣間で、時は春の夜、その地方の名家もやがて沒落といふ悲しい運命の前にあるのだが、そこにはロシヤのいはゆる「千八百八十年代の知識階級」である處のラアネフスカヤを初め、老若の男女達の十余人が集まつて舞踏に興じてゐる。然し、さすがにどことなく哀愁にみちた空氣。間もなく邸宅にいよいよ買手がついたといふ話が傳はつて、ラアネフスカヤが悲しみに打たれて卒倒する塲面となつてくるのであるがその間裏手からカチン、カチインと絶[#挿絵]ず聞[#挿絵]てくる球突の球の響きはさういふ塲面の空氣と對應して、いかにも感じの美しい、何ともいへない舞台効果をなしてゐる。いつたい「櫻の園」には第一幕の汽車の音、第二幕のギタアの音色、第四幕の終りの櫻の木を切り倒す斧の響きなどと、塲面々々の感じと相俟つて音響の効果が實に巧に用ゐられてゐるが、私の狹い知識の範圍では、戯曲に球突の球の響きなどを用ゐたのはひとりチエエホフあるのみのやうである。
里見、久保田、豊島氏の球突
これも私の讀んだだけの範圍でいへば、日本では里見[#挿絵]さん、久保田万太郎さん、豐島與志雄さんがいづれも短篇小説の中に球突塲を題材にしてゐる。朧氣な記憶を辿れば、久保田さんのは私も二三度一緒に行つた事のある、淺草の十二階近所の球突塲を背景にしたもので、そこに久保田さん獨特の義理人情の世界を扱つてあつたやうに思ふ。[#「思ふ。」は底本では「思ふ」]里見さんのは確か修善寺あたりの球突塲を題材にしたもので、そこに集まつてくる温泉客や町の常連の球突振そのものを例の鮮かな筆致で描いてあつたかと思ふ。豐島さんのは今はもう忘れてしまつたが、とにかく球突塲といふものはちよつと變つた人間的空氣の漂ふもので球の響きの内には時とすると妙に胸底に沁みわたるやうな一種の神祕感が感じられる。扱方によつては面白い小説も書けやうといふものである。
私自身の球突稽古
處で、私が球突を初めたのは三田の文科の豫科生だつた二十一の時で、秋に例のやうにからだを惡くして伊豆山の相模屋旅館に一月ほどを暮したが、そこに球突塲があつたので無聊のまゝ運動がてら二十點といふ處あたりから習ひ出したのが、病みつきの初めだつた。元來私は少年時代から寫眞をやる、昆虫採集をやる、草花を作る將棋をさすといふ風で、少々趣味の多過ぎる方なのだが、そして、一時それぞれにかつと熱中する方なのだが、球突も御多分に洩れず、少し味が分り出すともう面白くてたまらなくなつて來た。これは球突を少しやつた人の誰しも經驗する事で、夜電氣を消して床にはひると暗闇の中に赤白の四つの球をのせた青い球台が浮かんで來て、取り方を夢中で空想したりする。友達…