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あな
作品ID45500
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「蜘蛛の夢」 光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日
初出「写真報知」1925(大正14)年9月
入力者小林繁雄、門田裕志
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2006-06-25 / 2014-09-18
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 Y君は語る。

 明治十年、西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わたしはまだ生まれたばかりの赤ん坊であったから何んにも知ろう筈はない。これは後日になって姉の話を聞いたのであるから、多少のすじみちは間違っているかも知れないが、大体の話はまずこうである――。

 今日では高輪のあたりも開け切って、ほとんど昔のおもかげを失ってしまったが、江戸の絵図を見ればすぐにわかる通り、江戸時代から明治の初年にかけて高輪や伊皿子の山の手は、一種の寺町といってもいい位に、数多くの寺々がつづいていて、そのあいだに武家屋敷がある。といったら、そのさびしさは大抵想像されるであろう。殊に維新以後はその武家屋敷の取毀されたのもあり、あるいは住む人もない空屋敷となって荒れるがままに捨てて置かれるのもあるという始末で、さらに一層の寂寥を増していた。そういうわけであるから、家賃も無論にやすい。場所によっては無銭同様のところもある。わたしの父もほとんど無銭同様で、泉岳寺に近い古屋敷を買い取った。
 その屋敷は旧幕臣の与力が住んでいたもので、建物のほかに五百坪ほどの空地がある。西の方は高い崖になっていて、その上は樹木の生い茂った小山である。与力といってもよほど内福の家であったとみえて、湯殿はもちろん、米つき場までも出来ていて、大きい土蔵が二戸前もある。こう書くとなかなか立派らしいが、江戸時代にもかなり住み荒らしてあった上に、聞くところによれば、主人は維新の際に脱走して越後へ行った。官軍が江戸へはいった時におとなしく帰順した者は、その家屋敷もすべて無事であったが、脱走して官軍に抵抗した者は当然その家屋敷を捨てて行かなければならない。そこで、ここの主人は他の脱走者の例にならって、その屋敷を多年出入りの商人にゆずり渡して行ったのである。この場合、ゆずり渡しというのは名義だけで、大抵はただでくれて行く。それに対して、貰った方では饒別として心ばかりの金を贈る。ただそれだけのことで遣り取りが済んだのであるが、明治の初年にはこんな空屋敷を買う者もない。借りる者も少ないので、新しい持主もほとんど持てあましの形で幾年間を打捨てて置いた。
 こういう事情で建ちぐされのままになっていた空屋敷を、わたしの父がやすく買取って、それに幾らかの手入れをして住んでいたのであるから、今から考えるとあまり居ごころのよい家ではなかったらしい。第一に屋敷がだだっ広い上に、建物が甚だ古いと来ているから、なんとなく陰気で薄っ暗い。庭も広過ぎて、とても掃除や草取りが満足には出来そうもないというので、庭の中程に低い四目垣を結って、その垣の内だけを庭らしくして、垣の外はすべて荒地にして置いたので、夏から秋にかけてはすすきや雑草が一面に生い茂っている。万事がこのていであるから、その荒涼たる光景…

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