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秘境の日輪旗
ひきょうのにちりんき
作品ID45519
著者蘭 郁二郎
文字遣い新字新仮名
底本 「少年小説大系 第17巻 平田晋策・蘭郁二郎集」 三一書房
1994(平成6)年2月28日 
初出「秘境の日輪旗」少年文庫、新正堂、1942(昭和17)年9月25日
入力者門田裕志
校正者mt.battie
公開 / 更新2024-01-05 / 2024-01-29
長さの目安約 174 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

兄のたより

 明け方から降りだした雪が、お正午近くになっても、まだ、止まなかった。
 灰色の空から、綿をちぎったような雪が、ヒラヒラと舞い落ちては、音もなく積って行く――。今朝、家を出る時には、それほど積っていなかったが、もう、十二、三センチは、たしかにあるらしい。
 英夫は、「雪の進軍」の口笛を吹きながら歩いていた。

雪の進軍氷をふんで
どこが河やら道さえ知れず
馬は斃れる捨ててもおけず
…………

 近ごろ、ラジオでもよくやる、溌剌とした行進曲が、降る雪の伴奏のように思われて、こうした雪の道を歩くのに、ふさわしかった。
 歌って、へんなものだなあ――と、英夫は思った。知らず知らずの間に、この軍歌の口笛を吹いていたのだ。
 今日は日曜日で、講道館に少年組の紅白試合があった。
 英夫は、水道橋の講道館から、若松町の家まで、歩いてかえることにした。
 紅軍が副将の英夫のところで、五人抜いたので、大将を一人残して勝った。英夫の足がはずんでいるのは、そのせいかも知れなかった。凱旋将軍の得意さ、つまり、意気揚々としてかえる……とでもいうのだろう。帽子や外套の肩に、しっとりと湿った雪が降り積っても、別に苦にはならなかった。かえって、汗ばんだ、上気した頬にあたる冷たい雪が、こころよかった。
 若松町の高台にある、陸軍軍医学校から、左に折れて、細い路地を入ったところに、英夫の家がある。――路地の突き当りの、古ぼけた冠木門に「河井謙一」と、表札のかかっている家がそれだ。
 英夫の兄弟には、両親がなかった。いや、あったことはあったのだが、英夫の四つの時に、父親が死んだ。その次の年には、母親にも死に別れなければならなかった。それ以来、兄の謙一が両親の代りになって、英夫を育ててくれた。食事や、身のまわりの世話は、遠縁にあたる小母さんがしてくれた。
 謙一は、府立の中学校から陸軍士官学校に入学した。士官学校を卒業する時には、恩賜の軍刀を頂いた秀才で、殊に語学は天才的だった。支那語や、マレー語や、スペイン語なども自由に話すことが出来た。
 英夫が英語とマレー語を知っているのは、謙一が熱心に教えてくれたからである。それが後で、どんなに役に立ったことだろう!
 講道館で柔道を習うようになったのも、謙一の手引きだった。謙一は講道館の柔道四段なのである。
 謙一は、少尉に任官すると、南支の戦場に出征した。今は中尉だが、どこにいるか英夫もくわしくは知らない。ただ南方の特務機関に勤務していることだけはたしかだ。
 と、いうのは、去年の秋ごろ、広東から一通の手紙が来て、これから広東よりももっと南の、○○方面の特務機関として赴任する。もし、計画が予定どおり進めば、世界を驚かすような「驚天動地の大事業」にとりかかることになっている。その時には、お前にもぜひ手伝ってもらわねばならない。兄さんから電報…

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