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土民生活
どみんせいかつ
作品ID45522
著者石川 三四郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「石川三四郎著作集第二巻」 青土社
1977(昭和52)年11月25日
初出「社会主義」1920(大正9)年12月号
入力者田中敬三
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-01-05 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

今より丁度八年前、私が初めて旧友エドワアド・カアペンタア翁を英国シエフイールドの片田舎、ミルソープの山家に訪ふた時私は翁の詩集『トワアド・デモクラシイ』に就いて翁と語つたことがある。そして其書名「デモクラシイ」の語が余りに俗悪にして本書の内容と些しも共鳴せぬのみならず、吾等の詩情にシヨツクを与ふること甚しきを訴へた。スルと其時、カ翁は「多くの友人から其批評を聞きます」と言ひながら、書架より希臘語辞典を引き出して其「デモス」の語を説明して呉れた。其説明によるとデモスとは土地につける民衆といふことで、決して今日普通に用ゐらるゝ様な意味は無かつた。今日の所謂「デモクラシイ」は亜米利加人によりて悪用された用語で本来の意味は喪はれて居る。ソコで私は今、此「デモス」の語を「土民」と訳し、「クラシイ」の語を「生活」と訳して、此論文の標題とした。即ち土民生活とは真の意味のデモクラシイといふことである。

         一

 人間は、自分を照す光明に背を向けて、常に自分の蔭を追ふて前に進んで居る。固より其一生を終るまで、遂に其蔭を捉へ得ない。之を進歩と言へば言へるが、又同時に退歩だとも言へる。長成には死滅が伴ふ。門松は冥途の旅の一里塚に過ぎない。
 人間は、生きやう、生きやう、として死んで行く。人間は、平和を、平和を、と言ひながら戦つて居る。人間は、自由よ、自由よ、と叫びながら、囚はれて行く。上へ、上へ、とばかり延びて行つた果樹は、枝は栄え、葉は茂つても遂に実を結ばずして朽ち果てる。輪廻の渦は果し無く繰返へす。エヴオリユシヨンといふも、輪廻の渦に現はるゝ一小波動に過ぎない。進化は常に退化を伴ふものである。夜無しには昼を迎へ得ない。日の次には夜が廻て来る。

         二

 人間は、輪廻の道を辿つて果しなき旅路を急いで居る。自ら落着くべき故郷も無く、息ふべき宿も無く、徒らに我慾の姿に憧憬れて、あえぎ疲れて居る。旅の恥はかき棄てと唱へて、些かも省みる処なく、平気で不義、破廉恥を行ふ。今の世の総ての人は、悉く異郷の旅人である。我が本来の地、我が本来の生活、我が本来の職業、といふ如き思想は、之を今の世の人に求めても得られない。彼等の生活は悉く是れ異郷の旅に外ならぬ。総ての職務と地位とは腰掛けである。今の世の生活は不安の海に漂よふ放浪生活に外ならぬ。放浪生活に事務の挙る訳が無い。教師も牧師も官吏も商人も百姓も大臣も、我が故郷を認め得ずして生涯旅の恥をかき棄てゝ居る。旅の恥をかゝんが為に競ひ争ふて居る。疲れ果てゝ地に倒れたる時、我蔭の消ゆると共に人は幻滅の悲哀に打たるゝであらう。国家、社会が、幻滅の危機に遭遇したる時、乃ち○○○○○○〔大変革が来る〕のである。

         三

 国民共同生活の安全と独立と自由とを維持する為に軍隊は造られたものである。其れが、隣国…

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