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南国太平記
なんごくたいへいき
作品ID45567
著者直木 三十五
文字遣い新字新仮名
底本 「直木三十五作品集」 文藝春秋
1989(平成元)年2月15日
入力者小林繁雄、門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-04-13 / 2014-09-21
長さの目安約 1017 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

呪殺変

 高い、梢の若葉は、早朝の微風と、和やかな陽光とを、健康そうに喜んでいたが、鬱々とした大木、老樹の下蔭は、薄暗くて、密生した灌木と、雑草とが、未だ濡れていた。
 樵夫、猟師でさえ、時々にしか通らない細い径は、草の中から、ほんの少しのあか土を見せているだけで、両側から、枝が、草が、人の胸へまでも、頭へまでも、からかいかかるくらいに延びていた。
 その細径の、灌木の上へ、草の上へ、陣笠を、肩を、見せたり、隠したりしながら、二人の人が、登って行った。陣笠は、裏金だから士分であろう。前へ行くその人は、六十近い、白髯の人で、後方のは供人であろうか? 肩から紐で、木箱を腰に垂れていた。二人とも、白い下着の上に黄麻を重ね、裾を端折って、紺脚絆だ。
 老人は、長い杖で左右の草を、掻き分けたり、たたいたり、撫でたり、供の人も、同じように、草の中を注意しながら、登って行った。
 老人は、島津家の兵道家、加治木玄白斎で、供は、その高弟の和田仁十郎だ。博士王仁がもたらした「軍勝図」が大江家から、源家へ伝えられたが、それを秘伝しているのが、源家の末の島津家で、玄白斎は、その秘法を会得している人であった。
 口伝玄秘の術として、明らかになっていないが、医術と、祈祷とを基礎とした呪詛、調伏術の一種であった。だから、その修道者として、薬学の心得のあった玄白斎は、島津重豪が、薬草園を開き、蘭法医戸塚静海を、藩医員として迎え、ヨーンストンの「阿蘭陀本草和解」、「薬海鏡原」などが訳されるようになると、薬草に興味をもっていて、隠居をしてから五六年、初夏から秋へかけて、いつも山野へ分け入っていた。
 行手の草が揺らいで、足音がした。玄白斎は、杖を止めて立止まった。仁十郎も、警戒した。現れたのは猟師で、鉄砲を引きずるように持ち、小脇に、重そうな獲物を抱えていた。猟師が二人を見て、ちらっと上げた眼は、赤くて、悲しそうだった。そして、小脇の獣には首が無かった。疵口には、血が赤黒く凝固し、毛も血で固まっていた。猟師は、一寸立止まって、二人に道を譲って、御叩頭をした。玄白斎は、その首のない獣と、猟師の眼とに、不審を感じて
「それは?」
 と、聞いた。猟師は、伏目で、悲しそうに獣を眺めてから
「わしの犬でがすよ」
「犬が――何んとして、首が無いのか?」
 猟師は、草叢へ鉄砲を下ろして、その側へ首の切取られた犬を置いた。犬は、脚を縮めて、ミイラの如くかたくなってころがった。疵は頸にだけでなく、胸まで切裂かれてあった。
「どこの奴だか、ひどいことをするでねえか、御侍様、昨夜方、そこの岩んとこで、焚火する奴があっての、こいつが見つけて吠えて行ったまま戻って来ねえで――」
 猟師は、うつむいて涙声になった。
「長い間、忠義にしてくれた犬だもんだから、庭へでも埋めてやりてえと、こうして持って戻りますところだよ」…

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