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沢氏の二人娘
さわしのふたりむすめ
作品ID45643
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集6」 岩波書店
1991(平成3)年5月10日
初出「中央公論 第五十年第一号」1935(昭和10)年1月1日
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-02-27 / 2014-09-21
長さの目安約 65 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

沢 一寿
  悦子  その長女
  愛子  その次女
奥井らく  家政婦
  桃枝  その子
神谷則武  輸入商
田所理吉  船員、悦子等の亡兄の友人

東京――昭和年代
[#改ページ]

     一

某カトリツク療養院の事務長、元副領事、沢一寿(五十五歳)の住居。郊外の安手な木造洋館で、舞台は白ペンキ塗のバルコニイを前にした、八畳の応接間兼食堂。
古ぼけた、しかし落つきのある家具。壁には風景画と、皿と、それらの中に、不調和にも一枚の女の写真が額にしてかけてある。三十五六の淋しい目立たない顔である。丸髷に結つてゐる。飾棚には、細々した洋風の置物。記念品らしい白大理石の置時計。バルコニイの手摺に色の褪せた副領事の礼服が干してある。
十月の午後。
家政婦奥井らく(三十八歳)が、卓子の上で通帳を調べてゐる。

らく  (通帳から眼を離さずに)桃枝、桃枝……桃ちやん……。(返事がないので、起ち上つて扉の方へ行く。出会ひがしらに水兵服の少女が現はれる)さつきから呼んでるのに……何処へ行つてたの? ご不浄?
桃枝  (首をふりながら、なんとなくもぢもぢしてゐる)
らく  (嶮しく)二階へ上つたね。なぜ、黙つてそんなことをしますか? ここはお前の家ぢやないんだよ。
桃枝  …………。
らく  (なだめるやうに)今これがすんだら、お茶でもいれるから、あつちのお部屋で雑誌でも読んでらつしやい。
桃枝  ひとりぢやつまんないわ。もうそんなもんのぞかないから、母さんあつちへ来てよ。
らく  駄目、駄目、うるさくつて……。
桃枝  だつてあたし御手伝ひするつもりだつたのよ。(間)母さん月給いくら貰つてんの、あててみませうか?
らく  当てなくたつてようござんす。
桃枝  あたし学校を出たら、その月から三十円稼いでみせるわ。
らく  どうぞ御自由に……。
桃枝  さうさう、伯父さんてばね、あたしみたいな娘、女学校へ通はせとくのは勿体ないんですつて……。
らく  ほんとだよ。
桃枝  少女歌劇へ出たら、さぞ人気が出るだらうつて云ふの。
らく  馬鹿だ、あの伯父さんは……。さ、そいぢや、これは後のことにして……。お前、ちよつと火鉢のお火をみといておくれ。(干してある礼服の埃を払ひ、それを持つて奥にはいる)

桃枝も、一旦奥へはいるが、再び現はれて卓子の上の通帳をめくつてみる。眼を見張つたり、口を尖らしたり、笑ひを噛み殺したりする。やがて廊下に跫音。急いで、素知らぬ風を装ひ、バルコニイの方へ歩を運ぶ。
らくがコサツク帽を手にもつてはいつて来る。

桃枝  なあに、それ?
らく  トランクの底から出て来たの。
桃枝  これで帽子だわ。
らく  惜しいことに、こんなに虫がついて……。
桃枝  (独語のやうに)なんだか変ね、この家……。こんな帽子かぶる旦那さんがゐてさ、十年も前に死んだ奥さん…

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