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世の中へ
よのなかへ
作品ID45646
著者加能 作次郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文学全集 34」 筑摩書房
1955(昭和30)年9月5日
入力者kompass
校正者大沢たかお
公開 / 更新2012-11-13 / 2014-09-16
長さの目安約 120 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 私が伯父を頼つて、能登の片田舎から独り瓢然と京都へ行つたのは、今から二十年前、私の十三の時であつた。
 私の父は京都生れの者で、京都には二人の兄と一人の姉とが居た。長兄は本家の後を嗣いで万年寺通に仏壇屋をやつて居たし、次兄は四条橋畔に宿屋と薬屋とをやつて居り、姉は六条の本願寺前に宿屋を営んで居た。そして私の姉は、その三年前、十三の年に京都へ行つて、六条の伯母の家におちよぼとなつて居た。私は四条の伯父の許へ行つたのであつた。
 四条の伯父は其の年の初夏の頃初めて能登へ来て寄つた。病後の保養かた/″\加賀の山中温泉へ、妾と二人連れでやつて来た序に、自分だけその弟なる私の父の許へ立ち寄つたのであつた。
 贅沢で我儘で気むづかしい都育ちの伯父の気質としては、迚も堪へられさうに思はれない汚ない、不自由な、侘びしい漁村ではあつたが、空気がよいのと、新鮮な魚が多いのとの為であつたか、伯父は彼是一月ばかりも滞在して行つた。我が儘の言ひ放題を言ひ、田舎で許す限りの贅沢の仕放題をして――。
 その時私は病気で寝て居た。左の膝の関節が痛み、筋が突張つて足が伸びず、歩行も出来ないほどだつた。私は五日か七日隔き位に父に背負はれて二里余り離れた或る村の医者へ通つて居たが、医者は関節炎だとか云つて、ヨヂュムチンキか何かを塗つて呉れたりして居た。
「こんな田舎の医者なんかあかへん。少し快うなつたら京へお来なはい。伯父さん病院入れて癒したるよつて。」
 或時斯う言つた伯父の言葉が、不思議に私の頭にこびりついた。伯父が帰つて行つた後にも、私はこの事ばかり思つて楽しんで居た。それは病気をなほして貰ひたい為ばかりではなく、他にも理由があつたのである。
 私は、伯父は余程の金持だと思つた。それらしい噂は前から父などからも聞いて居たし、伯父自身が、得意らしく誇らしげに話す京都に於ける豪奢な生活振りからも想像された。家は京都では第一の眼抜の場所にあつて、三階建の大きな建物で、奉公人の十人近くも使つて盛大に商売をして居ること、店の方は番頭に任せて、自分は妻君や妾やを連れて毎日の様に物見遊山に出て歩いてるといふこと、一寸外出するにも、千円近くの金目のものを身につけて出ること、浪華亭の旦那といへば京都で誰知らぬものもない位だといふこと、其他之に類する種々のことを話して居た。殊に山中の温泉に居て、西瓜が食べたくなつて態々京都から大きな新田西瓜の初物を取り寄せたといふ話や、村へ来た時百人余りの小学校の生徒全部へ土産として饅頭を贈つたことや、馬に乗りたくなつたとて、金はいくらでも出すから馬を買つて来いと云つて、私の父をてこずらせたことや、(私の村は漁村なので、馬は一頭も飼はれて居なかつた)さういふ馬鹿気た贅沢振りは、幼い私をして只わけもなく「豪いもんやな!」と驚嘆せしめた。そして、この伯父を頼つて行つたなら…

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