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若芽
わかめ
作品ID45660
著者島田 清次郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「石川近代文学全集4」 石川近代文学館
1996(平成8)年3月1日
初出「潮 第二巻第一号」1914(大正3)年12月
入力者岑村綱之
校正者小林繁雄
公開 / 更新2005-11-16 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    (一)

 ぬつくりとした空気の中に、白い布を被せた寝棺が人々の眼に痛ましく写つた。紫檀の机の上に置かれた青銅の線香立には白い灰が堆高く積つて、夢の様に白い煙が立ち上つて抹香くさい香が庭前の青葉の間に流れ流れした。
『雨戸を繰りませうか。』
 今迄だまつて柱に依りかゝつて居た男が一座を見渡してかう言つた。其して一尺許りすいて居た一枚の雨戸を静かに開けた。電燈の光が広々とさあつと外にあふれて出て、露にうるんだ山茶花の葉の上を照した。心地よい冷つこい夜の気が一座の人の頬にはひやりと快かつた。
『未だ若いのに、世の中の楽しみと言ふ楽しみもしないで亡くなるなんて、ほんとに可哀想でたまりませんよ。』
 棺の主の病の為にわざ/″\看護に来て居る年の割に老けた女が沁々こういつた。大粒の涙がほろ/\と膝にふり落ちて居る。
『真実にね、清さんがこんなに成らうとは思はなかつたんですよ。』
 傍に眠さうに座つて居た病人の従姉妹達もくづれかかつた丸髪を気にし乍ら、心からと言つた風に相槌を打つた。
 二三年の内に見違へる様に美しくなつた之等の女連を見比べて居た此女の主人は
『が、死ぬ迄筆を離さなかつた。俺もつくづく可哀想に成つたて』
 と、じいつと棺にかぶさつた白い布を見詰めつつ、遠い/\昔の事の様に亡き人の追想に耽つた。
 一座の人々は一様に頭の髪のいつか白くなつた主人の顔を見守つててんでに亡き若人の達者であつた日の事を描いて見た。
 亡き若人は早稲田の学舎に学んだ身であつた。彼れの処女作が或る文学雑誌にかかげられた時、彼の恩師は偉大なる文学者の卵であると推賞した。而してきび/″\した筆致と幼き日を慕ふ情緒とを持つた大文学者の卵は夏になると、定まつて東京から日本海の荒波の音の絶えぬ故郷へ皈って来るのであつた。
 杉垣の或古びた家。家の隣は西洋草花などを作つてある花畑であつた。涼風のそよぐ夏の夕方なぞ白絣縮緬の兵子帯をしめた若い文士の姿がいつも杉垣の中に、大勢の従姉妹達に包まれて見えた。
 色の白いほつそりとした若い文士の其の頃の面差しは、従姉妹達の胸にくつきりと刻み込まれてあつた。
『あの時分は私等も若かつたわねエ!』
 三人の内の一番若い従妹がこう叫んで一座の人々を見渡した。
『あの時分のことを思ふと丸で夢の様ですわ。』
 と三人の子持に成つた一番上の従姉が心細そゝうに言つた。
 線香の白い灰がほろり/\とくづれて、やつれた主人の顔にくづれる度に淡い陰をつくつてゐた。
 主人は――行くりなくも気が狂つて死んだ亡き妻の青白い顔を思ひ浮かべて、白い布の寝棺の上に目を落じて、一人残つて行く自分の身を思つて見た。

    (二)

 其処には長い/\年月があつた。昔の家、昔の庭、昔の木、それらが皆昔と云ふ字を持つ様に成つた。
 其一人息子の生れた頃には、新築の家は木の香が甘く漂…

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