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旧藩情
きゅうはんじょう
作品ID45664
著者福沢 諭吉
文字遣い新字新仮名
底本 「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」 講談社学術文庫、講談社
1985(昭和60)年3月10日
入力者kazuishi
校正者田中哲郎
公開 / 更新2006-12-05 / 2014-09-18
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   旧藩情緒言

一、人の世を渡るはなお舟に乗て海を渡るがごとし。舟中の人もとより舟と共に運動を與にすといえども、動もすれば自から運動の遅速方向に心付かざること多し。ただ岸上より望観する者にして始てその精密なる趣を知るべし。中津の旧藩士も藩と共に運動する者なれども、或は藩中に居てかえって自からその動くところの趣に心付かず、不知不識以て今日に至りし者も多し。独り余輩は所謂藩の岸上に立つ者なれば、望観するところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、聊かその望観のままを記したるのみ。
一、本書はもっぱら中津旧藩士の情態を記したるものなれども、諸藩共に必ず大同小異に過ぎず。或は上士と下士との軋轢あらざれば、士族と平民との間に敵意ありて、いかなる旧藩地にても、士民共に利害栄辱を與にして、公共のためを謀る者あるを聞かず。故に世上有志の士君子が、その郷里の事態を憂てこれが処置を工夫するときに当り、この小冊子もまた、或は考案の一助たるべし。
一、旧藩地に私立の学校を設るは余輩の多年企望するところにして、すでに中津にも旧知事の分禄と旧官員の周旋とによりて一校を立て、その仕組、もとより貧小なれども、今日までの成跡を以て見れば未だ失望の箇条もなく、先ず費したる財と労とに報る丈けの功をば奏したるものというべし。蓋し廃藩以来、士民が適として帰するところを失い、或はこれがためその品行を破て自暴自棄の境界にも陥るべきところへ、いやしくも肉体以上の心を養い、不覊独立の景影だにも論ずべき場所として学校の設あれば、その状、恰も暗黒の夜に一点の星を見るがごとく、たとい明を取るに足らざるも、やや以て方向の大概を知るべし。故に今の旧藩地の私立学校は、啻に読書のみならず、別に一種の功能あるものというべし。
 余輩常に思うに、今の諸華族が様々の仕組を設けて様々のことに財を費し、様々の憂を憂て様々の奇策妙計を運らさんよりも、むしろその財の未だ空しく消散せざるに当て、早く銘々の旧藩地に学校を立てなば、数年の後は間接の功を奏して、華族の私のためにも藩地の公共のためにも大なる利益あるべしと。これを企望すること切なれども、誰に向てその利害を説くべき路を知らず。故に今この冊子を記して、幸に華族その他有志者の目に触れ、為に或は学校設立の念を起すことあらば幸甚というべきのみ。
一、維新の頃より今日に至るまで、諸藩の有様は現に今人の目撃するところにして、これを記すはほとんど無益なるに似たれども、光陰矢のごとく、今より五十年を過ぎ、顧て明治前後日本の藩情如何を詮索せんと欲するも、茫乎としてこれを求るに難きものあるべし。故にこの冊子、たとい今日に陳腐なるも、五十年の後には却て珍奇にして、歴史家の一助たることもあるべし。
  明治十年五月三十日
福沢諭吉 記
[#改ページ]

   旧藩情

 旧中津奥平藩士の数、上大臣よ…

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