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ばかな汽車
ばかなきしゃ
作品ID45702
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「天狗笑い」 晶文社
1978(昭和53)年4月15日
入力者田中敬三
校正者川山隆
公開 / 更新2007-02-03 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ――長いあいだ汽車の機関手をしていた人が、次のような話をきかせました。――

     *

 汽車の機関手をしていますと、面白いことや、あぶないことや、つらいことや、それはずいぶんいろんなことがありますが、そのうちでかわった話というのは――
 そうですね……もうずっと昔のことです。汽車をうんてんして、ある山奥を、夜中に走っていました。機関車の前の方の小窓からのぞきますと、右手はふかくしげった山のふもとで、左手には小さな谷川がながれていまして、二本のレールがあおじろくまっすぐにつづいています。その上を、汽車は速力をまして走っています。後の方につづいてる車では、もう乗ってるお客たちもたいていうとうとと眠ってる頃で、あたりはしいんとした山の中の夜で、ただ私たちだけがおきていて、かまに石炭の火をたき、レールの上を見はりながら、汽車をごうごうと走らしています。もしなにかまちがいでもあろうものなら、何百人もの乗客たちの命にかかわるんです。
 ところが、機関車の小窓から前の方を注意していた私は、思わずアッと声をたてました……。線路わきにぽつりぽつりついてる電燈の光が、とおく闇にまぎれて、レールもみわけのつかないその先の方に、大きな眼玉のようなヘッドライトの光をかがやかし、煙突から煙をはいて、まっくろな大きなものが、ひじょうな勢で走ってきます。汽車です。汽車が向うからくるんです。
 そのへんは、単線で、一筋の線路きりありませんでした。両方から汽車が走ってくれば、ましょうめんから衝突するばかりです。それをさけるために、タブレットの仕方で、停車場と停車場の間には一つの汽車しか通さないようにしてあります。それがどうしたまちがいか、たしかに向うから汽車が走ってきます。
 両方ともたいへん早く走っていますので、みるみるうちに近よってきました。もし衝突でもすれば、どんなことになるかわかりません。いくたりの人が死ぬかわかりません。私はとっさに、汽笛をならし、制動機に手をかけて、汽車を止めようとしました。火夫たちもみな立上りました。向うの汽車でも、汽笛をならしています。
 全速力で走ってる汽車をとめるのは、よういなことではありません。あまり急にとめますと、脱線してひっくりかえる心配があります。両方からぶっつからないうちにとめる、そのわずかなかねあいです。私たちはもう生きた心地もしませんでした。
 向うの汽車はすぐ近くになりました。まっくろなすがた、煙をはいてる煙突、ぎらぎら光ってるヘッドライト……車輪のひびきまで聞えてきます。ぶつかったらさいごです。
 そのうち、こちらの汽車はしだいにとまりかけて、一つ大きくゆれてまったく止ってしまいました。と同時に、向うの汽車もとまりました。危いところでした。両方十七、八メートルしかはなれていませんでした。私はほっとしました。
 そのまま、しばらくに…

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