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ぶんしょうそのた
作品ID45819
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「鷭 第一輯」鷭社、1934(昭和9)年4月11日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-06-11 / 2016-04-04
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は元来、浅学と同時に物臭の性で、骨を折つてまで物事を理解しようなぞといふ男らしい精神は余り恵まれてゐない。そのせいで、観賞に時代の割引を余儀なくされ、その理解に一々なにがしの造詣を必要とする古典芸術なるものは、見ない先から逃げたがる風であつた(ある)。順つて、その方面の知識はない。
 たま/\退屈の然らしめた悪戯で、文楽の人形芝居を見た。「合邦」の「合邦内の段」といふものであつたらしい。いつたい、合邦といふ物語は面白いものではない。玉手御前(といふ名前であつたかしらん――)が義理の息子と不義をして館を出奔する、或夜悄然と父合邦の侘び住居へ辿りついてくるところから芝居は初まつたが、娘の不行跡に懊悩混乱した父合邦が、返事一つでは殺害もしかねない詰問の下で、毅然として恋を棄てやうとしない思ひせまつた娘の様子は、人形の演戯も神品であつて甚しく私を感動せしめたものである。ところが芝居の終りになると、あにはからんや娘の恋愛は敵を欺く手段であつて(――以下略、物臭失礼。)云々といふことになる。私も性来相当ロマンチックな不運な生れと自認してゐたが、摂州合邦ヶ辻の桁外れな、この途方図もない物語には唖然とした。とても酔ひきれない。芝居の初めの一途の恋に思ひせまつた娘の様子が稀世の神品であればあるだけ、終りに受けた莫迦らしさは深まるばかりであつた。が、私は悪口を言ふために文楽を持ち出したわけではなかつた。あべこべである。
 まづ、幕が揚がると、合邦の侘び住居では老いた合邦夫妻が不行跡を働いて館を駈落ちした娘の身の上を案じ合つてゐる。もう死んだかも知れないといふ。生きてゐて、うつかりすると、この侘び住居へ落延びてきやしないかといふ。二人はぎよつとして身を竦ませる。武士の意地、落ちてきたからには一刀両断にしなければならぬと合邦がいふ。いいえ/\死んでしまつたことでせうよ、ふびんな娘よと、母は仏間へ座つて娘の冥福を祈りはぢめる。時刻は深夜である。すると、娘がただ一人侘び住居を訪れてくる、コト/\と戸を叩くのである。
 あれは娘が来たのでは――と、仏間の母がふと誦経をやめて立ち上らうとする。やい、まて/\と合邦がとめる、あれは闇を吹く風の訪れだと言ふのである。老母はそこで座にもどつて誦経をつづける。再び戸がコト/\となる。やつぱり娘ではと又立ち上る。なんの死んだ娘の来ることがあらうかと、合邦は慌てふためいて押しとどめる。実は内心てつきり娘と分つたのだが、娘とあれば殺さねばならず、思ひみだれて、とにかく家へは上げぬ分別と考へたらしい。あれは深夜の風の訪れにまぎれもないと言ひくろめて、老婆をむりやり仏前へ座らせてしまふ。又、戸が幽かにコト/\と鳴る。再三再四、同じことが繰り返される。たうとう老婆はたまりかねて、いいえ娘です/\と狂乱の態で、いとしい娘よと戸口の方へ走りよる、合邦もとめかね…

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