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想片
そうへん
作品ID45831
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 01」 筑摩書房
1999(平成11)年5月20日
初出「作品 第六巻第五号」1935(昭和10)年5月1日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-05-22 / 2016-04-04
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 今日雑誌が一口にジアナリズムなる言外に多くの悪徳を暗示した汚名によつて呼ばれる時世となり、文学の本道まで万事浮遊して落付かぬ状態をつづけてゐる時に、一つくらゐジアナリズムに超然とし、正しき流行をつくるとも流行に追はれぬ雑誌が欲しいと思ふ。「作品」がそれだと言ふほど大袈裟にほめるわけにもいかないが、ジアナリズムの悪徳をもたぬことは確かである。落付きがある。
 プルウストの尨大な仕事を「作品」で扱ひはじめたのは、ややプルウストが時流に乗りだして後のやうに記憶する。アランはたしかに識者の間には流行をつくつた。目下北原君の訳業はまさにフロオベエルの再読を人々に強ひかけてゐる。私は少年の頃フロオベエルを読んで面白くないと一蹴したが、この訳に暗示されて再読し、感心した。フロオベエルやドストエフスキーの流行といふやうなものは、いはゆる流行ではないのである。どんな多読家でも、流行でもしなかつたら一々古典の隅々まで読めるわけのものでないから、具眼の士が時世の下に隠された宝玉を思ひ出させてくれなければならない。
 小さい雑誌といふものは甚だつぶれやすいもので、これだけのまとまつた仕事を残すのも容易なことぢやないと思ふ。今後この調子で続くだけでも相当なことで、文句を言ふところは何もないが、小野さんの手腕で雑誌がだん/\大きくなり、時代に呼びかける力が強力になつたら、筆を執る方の側でも大変嬉しいことである。



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