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総理大臣が貰つた手紙の話
そうりだいじんがもらったてがみのはなし
作品ID45850
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 03」 筑摩書房
1999(平成11)年3月20日
初出「文学者 第一巻第一一号」文学者発行所、1939(昭和14)年11月1日
入力者tatsuki
校正者砂場清隆
公開 / 更新2008-08-23 / 2014-09-21
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 いつの頃だか知らないが、或る日総理大臣官邸へ書留の手紙がとどいた。大変分厚だ。危険と書いた道路の建札と同じぐらゐ大きな書体で、親展と朱肉で捺してあるのである。けれども、なんにも役に立たない。
 かういふ手紙を読むために一役ありついた役人がゐて、つまらなさうな顔をしながら毎日手紙を読んでゐる。この役人が開いてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。

       二

 自分は住所姓名を打開けることをはばかるが、泥棒を業とする勤勉な市民である。
 貴殿の施政方針には泥棒に関する事項がないから、貴殿が自分等の職業に対してどういふ見解を所持してゐるか推察することが出来ないのだが、多数の教養ある人士が甚だこの誤解を犯し易いやうに、貴殿も亦、泥棒とは殺人犯や放火犯や強盗などと同様に安寧秩序を乱すやからであるとお考へであつたなら、この際思ひ直す必要がある。
 貴殿は誰かから、高利貸からででも、友人縁者からででも、借金されたことがあるであらうか。あれは良からぬことであるから、以後借金だけは堅く慎まれる方が宜しい。
 なぜと言つて、第一、借金をして、返せなかつたらどうしますか。人は時々物を忘れるものだけれども、貸した金を忘れる人は却々居ないものであるし、忘れてもらうことを当にして金を借りるといふことは礼義の上からどうかと思ふ。借りた金といふものは返さなければ穏当を欠くものである。
 だから適々借りた金が返せないとなつた時の不都合は凡そ愚劣で話にならない。貸した人の姿を見るとドキンとしてコソコソ姿を隠さなければならないし、寒中汗を流したり、一人前の発声器官を持ちながら吃つたりする。折悪しく風でもひけば悪夢の中まで借金取に追廻されて、玄関に人の跫音が聞えるたびに窒息し、腑甲斐ない親父を恨んでくれるな等と生れたばかりの赤ん坊にあやまつてゐる。忽ち身体を弱くして、早死してしまふのである。
 貴殿のやうな高位顕官ともなればはしたない町人共のやうな惨めな慌て方はしないであらうが、さりとて貴殿の心境が借金取の来襲にビクともしないからと言つて、貴殿が総理大臣を拝命したのは帝国の安泰を保証するためであり、借金取にビクともしない為ではなかつた。借金取の来襲にも悠々閑々たる心境など、ちつとも取柄はないのである。
 且又金を貸した方の人物にしても、有余る金があるくせに、わづかばかりの貸金の期限が切れた瞬間から、破滅に瀕する大損害を蒙つたやうな幻覚を起し、はては犬畜生にも劣つた精神陋劣佞奸邪智の曲者などと病的な考にとらはれる。徒に催促の手紙を書いて息を切らせ、静かなるべき散歩の途中に地団太ふみ、あいつのうちの郵便函へ蝮を投込んでくれようかなど妄念にとらはれて不眠症となる。忽ち身体を弱くして、早死してしまふのである。
 どつちを見てもひとつも碌なことはない。これ皆々借…

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