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古都
こと |
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作品ID | 45867 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 03」 筑摩書房 1999(平成11)年3月20日 |
初出 | 「現代文学 第五巻第一号」大観堂、1941(昭和16)年12月28日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2008-11-10 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 34 ページ(500字/頁で計算) |
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一
京都に住もうと思つたのは、京都といふ町に特に意味があるためではなかつた。東京にゐることが、たゞ、やりきれなくなつたのだ。住みなれた下宿の一室にゐることも厭で、鵜殿新一の家へ書きかけの小説を持込み、そこで仕事をつゞけたりしてゐた。京都へ行かうと思つたのは、鵜殿の家で、ふと手を休めて、物思ひに耽つた時であつた。
「いつ行く?」
「すぐ、これから」
鵜殿はトランクを探しだした。小さなトランクではあつたが、千枚ばかりの原稿用紙だけが荷物で、大きすぎるくらゐであつた。いらない、と言つたが、金に困つた時、これを売つてもいくらかになるだらうから、と無理に持たされた。
書きかけの長篇ができ次第、竹村書房から出版することになつてゐたので、京都行きを伝へるために電話をかけたが、不在であつた。その晩は尾崎士郎の家へ一泊し、翌日、竹村書房の大江もそこへ来てくれて、送別の宴をはらうといふわけで、尾崎さん夫妻が、大江と僕を両国橋の袂の猪を食はせる家へ案内してくれた。自動車が東京駅の前を走る時、警戒の憲兵が物々しかつた。君が京都から帰る頃は、この辺の景色も全然変つてゐるだらう、と、尾崎士郎が感慨をこめて言つたが、昭和十二年早春。宇垣内閣流産のさなかであつた。
僕が猪を食つたのは、この時が始めてゞあつた。尾崎士郎も二度目で、彼は二三日前に始めて食つて、味が忘れかねて案内してくれたのである。少し臭味があるが、特に気にかゝる程ではない。驚くほどアッサリしてゐて、いくら食つてももたれることがない、といふ註釈づきであつた。
飾窓に大きな猪が三匹ぶらさがつてゐた。その横に猿もぶらさがつてゐたが、恨みをこめ、いかにも悲しく死にましたといふ形相で、とても食ふ気持にはなれない。猪の方は、のんびりしたものである。たヾ、まる/\とふとり、今や夢見中で、夢の中では鉢巻をしめてステヽコを踊つてゐる様子であつた。豚や牛では、とても、かうはいかないだらう。牛などは、生きてゐる眼も神経質だ。猪といふ奴は、屍体を目の前に一杯傾けても、化けて出られるやうな気持には金輪際襲はれる心配がない。無限に食つた。大丈夫だ。もたれない、と尾崎士郎がけしかける。
そこを出たのは八時前で、まだ終列車には間があつたので、大江と二人、女のところへ一言別れを告げに行つた。黙つて行く方が良くはないか、と大江が言ふが、僕はハッキリ別れた方がいゝと思つた。大江と女は東京駅まで送つて来た。女とは、それまでに、もう、別れたやうなものではあつたが、気持の上のつながりは、まだ、いくらかあつた。
「君は送つてくれない方がいゝよ」と僕は女に言つた。「プラットフォームで汽車の出る時間待つぐらゐ厭な時間はないぜ」
けれども、女は送つてきた。
「気軽に一言さよならを言ふつもりだつたんだが、大江の言ふ通り、会はない方が良かつたのだ。どう…