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![]() わがくふうせるオジヤ |
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作品ID | 45897 |
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著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 11」 筑摩書房 1998(平成10)年12月20日 |
初出 | 「美しい暮しの手帖 第一一号」1951(昭和26)年2月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2009-03-23 / 2024-01-28 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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私は今から二ヶ月ほど前に胃から黒い血をはいた。時しも天下は追放解除旋風で多量のアルコールが旋風のエネルギーと化しつつあった時で、私はその旋風には深い関係はなかったが、新聞小説を書きあげて、その解放によって若干の小旋風と化する喜びにひたった。その結果が、人間に幾つもあるわけではない胃を酷使したことになったのである。
私は子供の時から胃が弱い。長じて酒をのむに及んで、胃弱のせいで、むしろ健康を維持することができたのかも知れない。なぜかというと、深酒すると、必ず吐く。ある限度以上には飲めなくなるから、自然のブレーキにめぐまれ、持ち前の耽溺性を自然防衛してもらったという結果になっているらしい。
今度血を吐いたのは、深酒というよりも、ウイスキーをストレートで飲む習慣が夏からつづいて、その結果であったと思う。強い酒をストレートで飲むのは、胃壁をいためる第一の兇器と知るべし。直後に水を飲み飲みしても役に立たない。水の到着以前に生のウイスキーが胃壁に衝突しているから。飲用以前に、タンサンか水で割るべきである。同じことのようでも手順が前後すれば何事につけてもダメなものだ。
血を吐いたのは三度目で、そう驚きもしなかったが、少し胃を大切にしようと思った。酒に比べると煙草の方がもっと胃に悪い。しかし、煙草も酒もやめられない。酒は催眠薬にくらべると、よほど健康なものだ。催眠薬というものは、寝てしまうと分らぬけれども、起きていると、酒と同様に、あるいは酒以上に、酩酊するということが分るのである。のみならず、アルコール中毒は却々起らないが、催眠薬中毒はすぐ起る。そして、それは狂人と同じものだ。幻視も幻聴も起るのである。私は疑っているのだ。神経衰弱の結果、妄想に悩んだり、自殺したりすると云われているのは、たまたま軽微の不眠に対して催眠薬を常用するようになり、益々神経衰弱がひどくなったと当人は考えているが、実は催眠薬中毒の場合が多く含まれているのではないか、と。
だから、眠るためには、催眠薬は連用すべきものではない。アルコールでねむることが、どれぐらい健全だか分らない。私が自分の身体で実験した上のことだから、そして、いくらか医学の本をしらべた上のことでもあるから、信用していただいてよろしいと思う。然し、私の言っているのは、酒を催眠薬として用いてのことで、それ以上に耽溺しての御乱行については、この限りではない。
私はピッタリ催眠薬をやめたから、仕事のあとで眠るためには酒にたよらざるを得ない。必需品であるから、酒を快く胃におさめるために、他の食物を節しなければならない。なぜなら、私は酒を味覚的に好むのではなく、眠り薬として用いるのであり、それを受けいれる胃袋は、益々弱化しつつあるからである。
私は二年前から、肉食することは一年に何回もないのである。それまでは、特にチャンコ鍋(相撲と…