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![]() あんごのしんにほんちり |
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作品ID | 45904 |
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副題 | 04 飛鳥の幻――吉野・大和の巻―― 04 あすかのまぼろし――よしの・やまとのまき―― |
著者 | 坂口 安吾 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「坂口安吾全集 11」 筑摩書房 1998(平成10)年12月20日 |
初出 | 「文藝春秋 第二九巻第八号」1951(昭和26)年6月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 深津辰男・美智子 |
公開 / 更新 | 2010-02-05 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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海を見たことがないという山奥の子供でも汽車や自動車は見なれているという文化交通時代であるが、紀伊半島を一周する汽車線はいまだに完成していない。また、紀州の南端から大台ヶ原を通って吉野へ現れるには、どうしても数日テクる以外に手がないのである。吉野の入口から自動車にのると上の千本までしか登れない。奥の千本へ行くにもテクらなければダメなんだから、大峰山や大台ヶ原は今もって鏡花先生の高野聖時代さ。交通文明というものに完璧に見すてられている山また山の難路なのである。ところが昔の神々は目のつけ場所がちがう。ここが日本で一番早くひらけていた交通路の一ツなんだね。
神武天皇が熊野に上陸して最初に辿ったコースがこれだ。そのころの日本人の生活はどんなグアイかというと、当時の日本の王様、大国主だかその子孫だか誰だか知れんが、その王様のいたミヤコがたぶん今の奈良県三輪らしいね。今はそこに大神神社があって大国主を祀っているが、この神社は拝殿があるだけで本殿はなく、否、建築としての本殿はないが、三輪山という四百五十米ぐらいの姿の美しい山全体が本殿であり御神体なのである。山上や中腹に巨石がルイルイとあるそうだ。
三輪から山の辺に沿うて盆地を北上すると天理教の丹波市から奈良へと平野がつづいている。南に向ってはウネビ、耳成、天ノ香具山の大和三山にかこまれた平地があって飛鳥の地があり、そこから山岳になって吉野へ熊野へと通じるわけだ。東の方へは初瀬から宇陀、伊賀を越えて伊勢路へ通じ、西の方へは二上山を経て河内、大阪方面へ通じている。三輪のミヤコをまン中に、交通は四通八達していたらしい。これを古に「山の辺の道」と云い、古記にも、崇神天皇には「御陵ハ山辺道ノ勾之岡ノ上ニアリ」とあり、景行天皇には「御陵ハ山辺之道ノ上ニアリ」とある。
この古代の道が今も残っているのだ。東に伊賀伊勢方面へ、西に河内方面へ、と東西にのびる道が三輪の町で丁字形に岐れて奈良方向へ北上している。今日も古代のように人がそこを歩いているのだが、どういう証拠があって、これを古代のままの「山ノ辺ノ道」と断定されたのか私は知らない。私はその道を通ってみた。今は賑やかな町となっているところもある。賑やかだが自動車がようやく一台通れる道だ。道で自動車とすれちがった。私たちの自動車は自発的に後退して向うの車がすれちがうのを待った。向うの車がサンキューと云ってすれちがうかと思いのほか、あやしくも心にくし、向うも後退して通路をつくり、私たちの通過を待つではないか! なんたる礼節! 古代日本はかく在りしか。見上げたる神々の子孫よ。と思いつつ敬々しくかの車を通過すれば、この車に乗りたるオノコらは手に手にメガホンをもち、これなん選挙の自動車にてありけり。二日の後が投票日さ。三日目からは決して人に道を譲らない自動車でした。
家並を外れると、なるほ…