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あんごじんせいあんない
作品ID45921
副題06 その六 暗い哉 東洋よ
06 そのろく くらいかな とうようよ
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 11」 筑摩書房
1998(平成10)年12月20日
初出「オール読物 第六巻第一〇号」1951(昭和26)年10月1日
入力者tatsuki
校正者深津辰男・美智子
公開 / 更新2009-11-30 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     奈汝何  節山居士

 抑々男女室に居るは人の大倫であり、鰥寡孤独は四海の窮民である。天下に窮民なく、人々家庭の楽あるは太平の恵沢である。家に良妻ある程幸福はない。私の前妻節子は佐原伊能氏の娘で、実に貞淑であり、私の成功は一にその内助に依り、その上二男三女を設けて立派に嫁婚を了えた。憾むらくは金婚式を拳ぐるに至らず、私の為に末期の水を取ると臨終の際まで言いつゞけて遂に亡くなった。晩香はこの節子の果たし得なかった役割を演じて呉れるべく、突如として現われたので、私の晩年は御蔭で幸福であった。私は継配として迎える以上、正式に結婚するつもりであったが、入籍のことは晩香が固辞したのでそれに従った。晩香は己れを詐らず、極めて恭順な態度であったから、私の近親もよくその人となりを諒解し、一年の間には相親しむ様になり、私も大に安心した。然るに入籍させなかったから今回の不幸を見るに至ったというものあらば、晩香の真情を知らざるものである。
 要之私と節子との夫婦生活は愛と敬とに終始したが、晩香とは愛の一筋であった。晩香は長岡での全盛時代、偶々軍需景気の倖運児の妾となったが、元来妾という裏切り行為を屑とせず、断然之を精算して、自ら進んで名家の正妻となったけれども、散々苦労の末、遂に破鏡の憂目に遭った。世の荒波にもまれながらも、よくその心の純真さを失わなかった。泥沼の蓮とは晩香のことである。(廿五年三月号の主婦と生活に詳である。)私は晩香の純情を愛した。晩香も亦私に由り、私を通して、始めて真の愛情を知った。私から受ける直接の愛ばかりでなく、私を取りまく人々の意気に感激した結果である。尾崎士郎君は「夢よりも淡く」と評し去ったが、夢ではなく、現実であった。即ち晩香は小田原に於ける漢文素読会を生んだ。固より私を中心としての学生会であるから、私は生みの親であるが、晩香は育ての親であった。学生の晩香を追慕する情は誠に涙ぐましいものがある。晩香亡き後、私はむしろ二三子の手に死なんと願うものである。(と言っても決して長男夫婦の孝志を辞する訳ではない。)
 私の心境は伊東火葬場の棺前で述べた通りである。神仏の前には身分の相違はない。新憲法も人権の自由平等を認めて居る。棺前に立った時は塩谷温対長谷川菊乃であった。之が人間の真の姿である。穂積博士の脳髄は医学の好資料となった。私は俎上の魚となった以上敢て逃げ匿れはしない。内外の学者文士、評論家に由って私の人間味を忌憚なく縦横に評論して戴きたい。戦後派諸人の反省する所となり、人道の扶植に寄与するあらば幸甚である。或人は「恋は内証にすべきもので公然なすべきものでない」といい、又或人は「先生の愛は僅に一年有半に過ぎなかったが、それは圧縮した一篇の詩である。長くなれば散文になってしまう」といった。夫れ然り豈夫れ然らんや。嗚呼私は是にして公は非なるか、美…

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