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小説集「白蛾」後記
しょうせつしゅう「はくが」こうき
作品ID45949
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷
初出「白蛾 ――近代説話――」生活社、1946(昭和21)年12月
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2013-06-28 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 ここに収めた作品はみな、近代説話として書いたものばかりである。近代説話というのは、私が勝手に造った名前で、或る一種の創作方法で書かれたもののことを指す。
 終戦後、物が自由に書けるようになってから、私はおもに小説を書いた。そして作者としての私の関心は、おのずから直接現在の人間生活に向けられた。――太平洋戦争の結果は、わが国の社会状態に大変革の一線を引いた。この線の少くとも一端にでも触れた人々の在り方や生き方は、どのようなものであろうか。また、この線に跨ってる人間性の赤裸な現われ方は、どのようなものであろうか。そういうことを私は探求したかった。
 然るに、斯かる探求の成果を、小説の形式で表現するに当って、私は或るもどかしさを感じた。元来、一篇の小説に於て、殊に短篇小説に於て、作者が真に言いたいこと、つまり作品の中核は、詮じつめれば案外に小さいものであって、大部分は主としてそれへの肉付けに過ぎない。ところが、前述のような作品にあっては、この中核がわりに大きく、それと均衡のとれた肉付けをするには、ずいぶん多くの枚数を必要とする。而も作者は、中核の表現に余りに多くの熱意を持つ。そういうところから、一種のもどかしさが生ずるのである。
 このもどかしさを克服するためには、私としては、現実的な描写法と共に象徴的な表現法を併用しなければならなかった。これによって、作品の長さを或る程度縮めることができたと思っている。そして、圧縮された作品であるために、普通の記述体の文章では、単に筋書みたいな感じになりはしないかを恐れて、話述体の文章を用い、それによって余裕と潤いとを持たせたいと意図した。
 このようにして出来た作品に、私は近代説話という名をつけたのである。――現実的描写と象徴的表現とがどの程度まで綯り合せられるものか、また話述体の文章がどの程度の効果を持ち得るものか、それは識者の批判に俟つとして、私としては一種の習作に過ぎないのである。
 今後も私は、普通の手法による小説と共に、近代説話ものを書くだろう。そしてこの近代説話ものはたいてい、現在の現実の相貌を通して、気息を将来にかよわせるものとなるだろう。
 以上が作者たる私の真意であって、その上になお、面白く読んで貰えることがもしできるとしたら、本懐の至りである。



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