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九条武子
くじょうたけこ
作品ID45980
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 近代美人伝 (下)」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日
初出「近代美人伝」サイレン社、1936(昭和11)年2月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-09-26 / 2014-09-21
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 人間は悲しい。
 率直にいえば、それだけでつきる。九条武子と表題を書いたままで、幾日もなんにも書けない。白いダリヤが一輪、目にうかんできて、いつまでたっても、一字もかけない。
 遠くはなれた存在だった、ずっと前に書いたものには、気高き人とか麗人とか、ありきたりの、誰しもがいうような褒めことばを、ならべただけですんでいたが、そんなお座なりをいうのはいやだ。
 その時分書いたものに、ある伯爵夫人が――その人は鑑賞眼が相当たかかったが、
あのお方に十二単衣をおきせもうし、あの長い、黒いお髪を、おすべらかしにおさせもうして、日本の女性の代表に、外国へいっていただきたい。
ああいうお方が、もう二人ほしいとおもいます。一人は外交官の奥さまに、一人は女優に――和歌をおこのみなさるうちでも、ことに与謝野晶子さんのを――
 歌集『黒髪』に盛られた、晶子さんの奔放な歌風が、ある時代を風靡したころだった。
 その晶子さんが、
京都の人は、ほんとに惜んでいます。あのお姫さまを、本願寺から失なすということを、それは惜んでいるようです、まったくお美しい方って、京都が生んだ女性で、日本の代表の美人です。あの方に盛装して巴里あたりを歩いていただきたい。
といわれた。米国の女詩人が、白百合に譬えた詩をつくってあげたこともあるし、そうした概念から、わたしは緋ざくらのかたまりのように輝かしく、憂いのない人だとばかり信じていた。もっとも、そのころはそうだったのかもしれない。

桜ですとも、桜も一重のではありません。八重の緋ざくらか、樺ざくらともうしあげましょう。五ツ衣で檜扇をさしかざしたといったらよいでしょうか、王朝式といっても、丸いお顔じゃありません、ほんとに輪郭のよくととのった、瓜実顔です。
と、おなじ夫人がいったことも、わたしは書いている。
 それなのに、なぜ、その時のままのを、他の人のとおりに、古いままで出さないのかといえば、わたしは女でなければわからない、女の心を、ふと感じたからで、あたしには偽りは言えない。といって、生ているうちから伝説化されて、いまは白玉楼中に、清浄におさまられた死者を、今更批判するなど、そんな非議はしたくない。ただ、人間は悲しいとおもいあたるさびしさを、追悼の意味で、あたしの直覚から言ってみるに過ぎない。笞の多くくるのは知っているが、手をさしのべて握手するのも目に見えぬ武子さんであるかもしれない。

 昭和二年ごろだった。掠屋が――商業往来にもない、妙な新手のものが、階級戦士ぶってやって来ていうには、
「九条武子さんとこへいったら、ちゃんと座敷へ通して、五円くれた。」
 それなのに、五十銭銀貨ひとつとは、なんだというふうに詰った。女というものはそういったらば、まけずに五円だすとでも思っている様子なので、
「あちらには、阿弥陀さまという御光が、後…

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