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モルガンお雪
モルガンおゆき
作品ID45989
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 近代美人伝 (下)」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日
初出「東京朝日新聞」1937(昭和12)年4月22日~5月7日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2007-11-19 / 2014-09-21
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 まあ!
 この碧い海水の中へ浸ったら体も、碧く解けてしまやあしないだろうか――
 お雪は、ぞっとするほど碧く澄んだ天地の中に、呆やりとしてしまった。皮膚にまで碧緑さが滲みこんでくるように、全く、此処の海は、岸に近づいても藍色だ。空は、それにもまして碧藍く、雲の色までが天を透かして碧い。
「まあ、何もかも、光るようね。」
「碧玉のふちべというのだよ。」
と、夫のジョージ・ディ・モルガンは説明した。
 お雪は、碧い光りの中に呆やりしてばかりいられなかった。
 白堊の家はつらなり、大理石はいみじき光りに、琅[#挿絵]のように輝いている。その前通りの岸には、椰子の樹の並木が茂り、山吹のような、金雀児のようなミモザが、黄金色の花を一ぱいにつけている。
 岸の、弓形の、その椰子の並木路を、二頭立の馬車や、一頭立の[#挿絵]洒な軽い馬車が、しっきりなしに通っている。めずらしい自動車も通る。
「ニースって、竜宮のようなところね。」
 お雪は、岸から覗く海の底に、深い深いところでも、藻のゆれているのが、青さを透して碧く見えるのを、ひき入れられるように見ていた。足許の砂にも、小砂利にも、南豆玉の青いのか、色硝子の欠けらの緑色のが零れているように、光っているものが交っている。
「あたしは、一度でも、こんな気持ちのところに、いたことがあっただろうか――」
 お雪は思いがけないほど、明澄な天地に包まれて、昨日まで、暗い、小雨がちな巴里にいた自分と、違った自分を見出して、狐につままれたような気がした。
「巴里は、京都を思い出させたようだったからね。」
 モルガンは、此処へ着くと急に、お雪が、昔のお雪の面影を見せて、何処か、のんびりとした顔つきをしているのが嬉しかった。もともと淋しい顔立ちだったが、日本を離れてから、目立って神経質になり、尖りが添っていたのが、晴ればれして見えるので、
「以前のお雪さんになった。」
と悦こんだ。
 ニコリと笑ったお互の白い歯にさえ、碧さが滲みとおるようだった。
「何見てるです。」
と言われると、お雪は指のさきを、モルガンの眼のさきへもっていって、
「手のね、指の爪の間から、青い光りが発るようで――」
と眼をすがめて見ているお雪があどけなくさえ見えるのを、モルガンは、アハハと高く笑った。
「あなたは、ニースへ着いたら、拾歳も二十歳も若くなった。もう泣きませんね。」
「あら、あて、泣きなんぞしませんわ。」
「此処の天の色、此処の水の色、あなたを子供にしてくれた。気に入りましたか?」
 お雪は、それに返事する間もなかった。急いでモルガンの肘を叩いて、水に飛び込む男女を、指さした。
「人魚、人魚。」
 若い女の、水着の派手な色と、手足や顔の白さが、波紋を織る碧い水の綾のなかに、奇しいまでの美しさを見せた。
「西洋の人って、ほんとに綺麗ね。」

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