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鈴木主水
すずきもんど |
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作品ID | 46074 |
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著者 | 久生 十蘭 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「歴史小説の世紀 天の巻」 新潮文庫、新潮社 2000(平成12)年9月1日 |
初出 | 「オール讀物」1951(昭和26)年11月 |
入力者 | 佐野良二 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2014-11-02 / 2014-10-13 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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享保十八年、九月十三日の朝、四谷塩町のはずれに小さな道場をもって、義世流の剣道を指南している鈴木伝内が、奥の小座敷で茶を飲みながら、築庭の秋草を見ているところへ、伜の主水が入ってきて、さり気ないようすで庭をながめだした。
「これからお上りか」とたずねると、「はっ、上ります」と愛想よくうなずいてみせた。
伝内は主水がかねてなにを考え、なにをしようとしているかおおよそのところは察していたが、いつにないとりつくろったような笑顔を見るなり、「いよいよ今日だな」と、そう感じた。今日、池の端の下邸で後の月見の宴があるが、主水は御前で思いきった乱暴をする決心でいる。心が通じあっているので、いまさら言置くこともなかったが、あまりみじめな終りにならぬよう、士道の吟味に関することだけは確かめておきたいと思った。たとえどのような無嗜無作法を働いても、主従の間でなすまじきことだけは、断じてせぬという戒懼のことである。
上杉征伐に功のあった三河の鈴木伝助の裔で、榊原に仕えて代々物頭列を勤めてきたが、伝内は神田お玉ヶ池の秋月刑部正直の高弟で義世流の達人であり、無辺無極流の槍もよく使うので、先代政祐のとき、番頭兼用人に進んで役料とも七百石を給わるようになった。
主水は伝内の独り子で、前髪があって小主水といっていたころから政祐の給仕を勤めていたが、生れつき器量がよく、評判のある葺屋町の色小姓でさえ、主水の前へ出ると袖で顔を蔽って恥らうというほどの美少年だったので、寵愛をうけて近習に選ばれ擬作高百石の思召料をもらった。主水の美貌は当時たぐいないほどのものだったらしい。膚がぬけるように白く、すらりとした身体つきで、女でさえ羨ましがるような長い睫毛の奥に、液体のなかで泳いでいるような世にも美しい眼がある。人形にもならず、といって絵にもならず、生れながらそなわった品のいい愛嬌があって、いちど見ると、久しく思いが残って忘れかねたということである。
近習時代のことだが、髪は白元結できりりと巻いた大髻で、白繻子の下着に褐色無地の定紋附羽二重小袖、献上博多白地独鈷の角帯に藍棒縞仙台平の裏附の袴、黒縮緬の紋附羽織に白紐を胸高に結び、大振りな大小に七分珊瑚玉の緒締の印伝革の下げものを腰につけ、白足袋に福草履、朱の房のついた寒竹の鞭を手綱に持ちそえ、朝々、馬丁を従えて三河台の馬場へ通う姿は、迫り視るべからざるほどの気高い美しさをそなえているので、毎度、見馴れている町筋の町人どもも、その都度、吐胸をつかれるような息苦しさを感じて、眼を伏せるのが常だったとつたえられている。
伝内は秋月刑部門下の三傑の一人といわれたほどの剣客だったが、麹町三番町で泰平真教流の道場を開いている兄の小笠原十左衛門に主水を預け、弓は竹林派の高須十郎兵衛に、柔術は吉岡扱心流の吉岡次郎右衛門に、馬術は大坪流の鶴岡丹下に学ばせた。
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