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予言
よげん |
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作品ID | 46078 |
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著者 | 久生 十蘭 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「久生十蘭全集 Ⅱ」 三一書房 1970(昭和45)年1月31日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2010-09-23 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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安部忠良の家は十五銀行の破産でやられ、母堂と二人で、四谷谷町の陽あたりの悪い二間きりのボロ借家に逼塞していた。姉の勢以子は外御門へ命婦に行き、七十くらいになっていた母堂が鼻緒の壺縫いをするというあっぷあっぷで、安部は学習院の月謝をいくつもためこみ、どうしようもなくなって麻布中学へ退転したが、そこでもすぐ追いだされ、結局、いいことにして絵ばかり描いていた。
二十歳になって安部が襲爵した朝、それだけは手放さなかった先考の華族大礼服を着こみ、掛けるものがないのでお飯櫃に腰をかけ、「一ノ谷」の義経のようになって鯱こばっていると、そのころ、もう眼が見えなくなっていた母堂が病床から這いだしてきて、桐の紋章を撫で、ズボンの金筋にさわり、
「とうとうあなたも従五位になられました」
と喜んで死んだ。
安部は十七ぐらいから絵を描きだしたが、ひどく窮屈なもので、林檎しか描かない。腐るまでそれを描くと、また新しいのを買ってくる。姉の勢以子は不審がって、
「なにか、もっとほかのものもお描きになればいいのに」
といい、おいおいは気味悪がって、
「林檎ばかり描くのは、もう、やめてください」
と反対したが、安部がかんがえているのは、つまるところ、セザンヌの思想を通過して、あるがままの実在を絵で闡明しようということなので、一個の林檎が実在するふしぎさを線と色で追求するほか、なんの興味もないのであった。
安部は美男というのではないが、柔和な、爽やかな感じのする好青年で、一人としてこの年少の友を愛さぬものはなかった。仲間の妹や姪たちもみな熱心な同情者で、それに、われわれがいいくらいに嗾しかけるものだから、四谷見附や仲町あたりで待伏せするようなのも三人や五人ではなく、貧乏な安部のために進んで奉加につきたいのも大勢いたが、酒田忠敬の二女の知世子が最後までねばりとおして、とうとう婚約してしまった。
酒田はもとより、知世子自身、生涯に使いきれぬほどのものを持っているので、そちらからの流通で安部の暮しもいくぶん楽になり、四年ほどはなにごともなく制作三昧の生活をつづけていたが、安部が死ぬ年の春、維納で精神病学の研究をしていた石黒利通が、巴里のヴォラールでセザンヌの静物を二つ手に入れ、それを留守宅へ送ってよこしたということを聞きつけた。
セザンヌは安部にとって、つねに深い啓示をあたえる神のごときものであったから、そうと聞きながら参詣せずにおけるわけのものではない。紹介もなく、いきなり先方へ乗りこむと、石黒の細君が出てきて、
「まだ、どなたもごぞんじないはずなのに」
と、ひょんな顔をしたが、こだわりもせずにすぐ見せてくれた。
一つは陶器の水差とレモンのある絵で、一つは青い林檎の絵であった。画集ではいくども見たが、ほんものにぶつかったのははじめてなので、これがセザンヌのヴァリュウなのか、これ…