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無月物語
むげつものがたり
作品ID46086
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅱ」 三一書房
1970(昭和45)年1月31日
初出「オール讀物」1950(昭和25)年10月号
入力者門田裕志
校正者芝裕久
公開 / 更新2021-10-06 / 2021-09-27
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 後白河法皇の院政中、京の賀茂磧でめずらしい死罪が行なわれた。
 大宝律には、笞、杖、徒、流、死と五刑が規定されているが、聖武天皇以来、代々の天皇はみな熱心な仏教の帰依者で、仏法尊信のあまり刑をすこしでも軽くしてやることをこのうえもない功徳だとし、とりわけ死んだものは二度と生かされぬというご趣意から、大赦とか、常赦とか、さまざまな恩典をつくって特赦を行なうのが例であった。死罪は別勅によって一等を減じ、例外なくみな流罪に落着く。したがってそのほかの罪も、流罪は徒罪、徒罪は杖刑というふうになってしまう。
 一例をあげると、布十五反以上を盗んだものは、律では絞首、格では十五年の使役という擬文律があるが、それでは叡慮にそわないから、死罪はないことにし、盗んだ布も十五反以内に適宜に格下げして、徒役が軽くすむように骨を折ってやる。また強盗が人を殺して物を奪うと、偸盗の事実だけを対象にして刑を科し、殺したほうの罪は主罪に包摂させてしまう。法文は法文として、この時代には実際において死刑というものは存在しなかったのである。
 文治二年に北条時政が京の名物ともいうべき群盗を追捕し、使庁へわたさずに勝手に斬ってしまった。これは時政の英断なので、緩怠に堕した格律に目ざましをくれたつもりだったが、朝廷ではいたく激怒して、時政を鎌倉へ追いかえすのどうのというさわぎになった。そういう時世だから、死刑そのものがめずらしいばかりでなく、死刑される当の人は中納言藤原泰文の妻の公子と泰文の末娘の花世姫、公子のほうは三十五、花世のほうは十六、どちらも後後の語草になるような美しい女性だったので、人の心に忘れられぬ思い出を残したのである。
 公子と花世姫の真影は光長の弟子の光実が写している。光実には性信親王や藤原宗子などのあまりうまくもない肖像画があるが、この二人の真影こそは生涯における傑作の一つだといっていい。刑台に据えられた花世の着ている浮線織赤色唐衣は、最後の日のためにわざわざ織らせたのだというが、舞いたつような色目のなかにも、十六歳の少女の心の乱れが、迫るような実感でまざまざと描きこめられている。
 長い垂れ髪は匂うばかりの若々しさで、顔の輪廓もまだ子供らしい固い線を見せているが、眼差はやさしく、眼はパッチリと大きく、熱い涙を流して泣いているうちに、ふいになにか驚かされたというような霊性をおびた単純ないい表情をしている。公子のほうは、平安季世の自信と自尊心を身につけた藤原一門の才女の典型で、膚の色は深く沈んで黛が黒々と際立ち、眼は淀まぬ色をたたえて従容と見ひらかれている。肥り肉の豊満な肉体で、花世の仏画的な感じと一種の対照をなしている。
 いまの言葉でいえば、二人の罪は尊族殺の共同正犯というところで、直接に手に手こそ下さなかったが、野盗あがりの雑武士を使嗾して、花世にとっては親殺し、公子にとっ…

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