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玉取物語
たまとりものがたり
作品ID46088
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅱ」 三一書房
1970(昭和45)年1月31日
初出「別冊文藝春秋 第二十四号小説二十人集」1951(昭和26)年10月30日
入力者門田裕志
校正者芝裕久
公開 / 更新2021-04-06 / 2021-03-27
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 嘉永のはじめ(嘉永二年十月)のことでござった。西国のさる大藩の殿様が本国から江戸へ御帰府の途次、関の宿の近くに差懸った折、右の方のふぐりが俄に痒くなった。蕁草の刺毛で弄われるような遣瀬なさで、痒味辛味は何にたとえようもないほどであった。しばらくの間は袴の上から押抓ってなだめていられたが、仲々もって左様な直なことではおさまらない。御袴の裾をもたげ、双方の御手でひきちがえ掻[#挿絵]っていられたことであったが、悩みは弥増ばかり、あたかもふぐりに火がついて乗物いっぱいに延びひろがり、いまにその中に巻きこまれてしまうかと思うような現なさで、追々、心気悩乱してとりとめないまでになった。
 御駕籠脇の徒士は只ならぬうめき声を聞きつけ、何事ならんと覗いみるところ、こはいかに殿様には裾前を取散したあられもない御姿にて、悶え焦れるばかりに身を押揉み、なにやらん不思議なことをせられていられる態、まことに由々しく見えた。
 道中奉行は行列をとめ、山添椿庵という御側医者に御容態を伺わせたが、只、「痒い、痒い」とわめかれるばかりで手の施しようもない。殿様には若年の折から驚癇の持病があられるので、大方はそのことと合点し、匆々、関の御本陣へ落着するなり、耳盥に水を汲ませて頭熱の引下げにかかったところ、殿様は「おのれは医者の分際で、病の上下も弁えぬのか」といきられ、片膝をあげてふぐりを見せた。山添は目をそばめて熟々と拝見いたすところ、右の方のふぐり玉が、軍鶏の卵ほどの大きさになって股間にのさばりかえっているのに、先ずこれはと仰天した。とても人間の身につくものとは思えない。強いて附会ければ、癩者の膝頭とでも言うべき体裁だが、銅の色してつらつらに光りかがやく団々たる肉塊の表に、筋と血の管の文がほどよく寄集まり、眼鼻をそなえた人の面宛然に見せている。頭に婆娑たる長毛を戴き、底意ありげな薄笑いをしているところは、張継が「楓橋夜泊」の寒山拾得の顔にその儘であった。
「病草紙」という絵巻物のあることは御存じであろう。鼻頭の黒き男、眠られぬ女、風病の男、小舌のある男、肛門のない男、また数ある男、男女両性の人、頭のあがらぬ法師、息の臭い女など十五段に白描の写しを合せ、十六段一巻となっている。他に侏儒と背高男の掛軸、鶏に眼を突つかせる女、悪夢に襲われる男の三図がござる。「餓鬼草紙」、「地獄草紙」と同じく、詞は寂蓮、絵は土佐光長の筆と言伝えられている。世に厭わしき病気の数々を描き列ねたは、人間の病苦や六道三世の因果の理を示したものであろうか。山添も古医方家の流を汲むものであるから、六道絵には巨細に通じていたが、光長の思い忘れか執筆の手落か、ついぞこういう病相を見かけなかったので、一段と当惑したことであった。
 山添は取敢えず塗薬を差上げ、宿々の泊で、罨方したり冷したり、思いつく限りの手当をぬかりなくやってみ…

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