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雁の童子
かりのどうじ
作品ID461
著者宮沢 賢治
文字遣い新字新仮名
底本 「インドラの網」 角川文庫、角川書店
1996(平成8)年6月20日再版
入力者浜野智
校正者浜野智
公開 / 更新1999-07-26 / 2023-07-08
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 流沙の南の、楊で囲まれた小さな泉で、私は、いった麦粉を水にといて、昼の食事をしておりました。
 そのとき、一人の巡礼のおじいさんが、やっぱり食事のために、そこへやって来ました。私たちはだまって軽く礼をしました。
 けれども、半日まるっきり人にも出会わないそんな旅でしたから、私は食事がすんでも、すぐに泉とその年老った巡礼とから、別れてしまいたくはありませんでした。
 私はしばらくその老人の、高い咽喉仏のぎくぎく動くのを、見るともなしに見ていました。何か話し掛けたいと思いましたが、どうもあんまり向うが寂かなので、私は少しきゅうくつにも思いました。
 けれども、ふと私は泉のうしろに、小さな祠のあるのを見付けました。それは大へん小さくて、地理学者や探険家ならばちょっと標本に持って行けそうなものではありましたがまだ全くあたらしく黄いろと赤のペンキさえ塗られていかにも異様に思われ、その前には、粗末ながら一本の幡も立っていました。
 私は老人が、もう食事も終りそうなのを見てたずねました。
「失礼ですがあのお堂はどなたをおまつりしたのですか。」
 その老人も、たしかに何か、私に話しかけたくていたのです。だまって二、三度うなずきながら、そのたべものをのみ下して、低く言いました。
「……童子のです。」
「童子ってどう云う方ですか。」
「雁の童子と仰っしゃるのは。」老人は食器をしまい、屈んで泉の水をすくい、きれいに口をそそいでからまた云いました。
「雁の童子と仰っしゃるのは、まるでこの頃あった昔ばなしのようなのです。この地方にこのごろ降りられました天童子だというのです。このお堂はこのごろ流沙の向う側にも、あちこち建っております。」
「天のこどもが、降りたのですか。罪があって天から流されたのですか。」
「さあ、よくわかりませんが、よくこの辺でそう申します。多分そうでございましょう。」
「いかがでしょう、聞かせて下さいませんか。お急ぎでさえなかったら。」
「いいえ、急ぎはいたしません。私の聴いただけお話いたしましょう。
 沙車に、須利耶圭という人がございました。名門ではございましたそうですが、おちぶれて奥さまと二人、ご自分は昔からの写経をなさり、奥さまは機を織って、しずかにくらしていられました。
 ある明方、須利耶さまが鉄砲をもったご自分の従弟のかたとご一緒に、野原を歩いていられました。地面はごく麗わしい青い石で、空がぼうっと白く見え、雪もま近でございました。
 須利耶さまがお従弟さまに仰っしゃるには、お前もさような慰みの殺生を、もういい加減やめたらどうだと、斯うでございました。
 ところが従弟の方が、まるですげなく、やめられないと、ご返事です。
(お前はずいぶんむごいやつだ、お前の傷めたり殺したりするものが、一体どんなものだかわかっているか、どんなものでもいのちは悲しいものなのだ…

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