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泡沫の記
うたかたのき
副題(ルウドイヒ二世と人工楽園)
(ルウドイヒにせいとじんこうらくえん)
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅲ」 三一書房
1970(昭和45)年2月28日
入力者門田裕志
校正者まつもこ
公開 / 更新2019-04-06 / 2019-03-29
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 森鴎外の「独逸日記」(明治十七年十月から二十一年五月にいたる)の十九年六月のところに次のような記述がある。

 十三日。夜 岩佐(新)とマクシミリアン街の酒店に入り、葡萄酒の杯を挙げ、興を尽して帰りぬ。
 翌日 聞けば拝焉(バイエルン=バヴァリア)国王 此夜 ウルム湖の水に溺れたりしなり。王はルウドヰヒ Ludwig 第二世と呼ばる。久しく精神病を憂へたりき。昼を厭ひ 夜を好み、昼間は其室を暗くし、天井には星辰を仮設し、床の周囲には花木を集めて其中に臥し、夜に至れば起ちて園中に逍遙す。近ごろ多く土木を起し、国庫の疲弊を来ししが為めに、病を披露して位を避けしめき。
 今月十二日の夜、王は精神病専門医フォン・グッデン von Gudden と共にホフヘンシュワンガウ Hohenschwangau 城よりスタルンベルヒ湖 Starnbergersee 一名 Wurmsee(ウルム湖)に近きベルヒ Berg といふ城に遷りぬ。
 十三日の夜 王 グッデンと湖畔を逍遙し、終に復た還らず。既にして王とグッデンとの屍を湖中に索め得たり。蓋し王の湖に投ずるや、グッデンはこれを救はんと欲して水に入り、死を共にせしものなるべし。屍を検せしものの謂へらく、グッデンは王を助けて水を出でんと欲し、其領(襟)を掴みしならん。グッデンの屍は手指を傷け、爪を裂きたり。されど王の力や強かりけん、袞衣は医の手中に残り、王は深処に赴きぬ。医は追ひて王に及び、水底にて 猶 王の死を拒みし如し。グッデンの面上には王に抓破せられたる瘢痕ありと。惨も亦た甚だし。
 王の未だ病まざるや、人主の徳に詩客の才を兼ね、其容貌さへ人に勝れ、民の敬愛厚かりしが、西洋の史乗にも例少き死を逐げし[#「逐げし」はママ]こと、哀む可きに非ずや。
 グッデンは特に精神病の医たるのみならず、平生 神経中心系の学に暗熟し、鳴世の著述あり。又 詩賦を好む。其 狂婦の歌 人口に膾炙す。其死も亦 職責を重んじたる跡 分明にして、永く 杏林に美名を赫するに足る。

 二十七日(日曜)。加藤 岩佐とウルム湖に遊び、国王、グッデンの遺跡を弔す。

 南独逸の半ば以上を占め、ガンブリヌス(麦酒神)の恵みを受ける豊饒な国に九百三十万の民草を統治するバイエルン国王――十一世紀以来、この国に君臨していたヴィテルスバッハ家の正統、十九歳で王位にのぼり、物語のような富と、数々の王城と、俊秀な叡智と、その詩才と、寛大な芸術の保護者たるゆえに全ヨーロッパに知られ、ユンケル(南部独逸貴族)の仰慕の的であった独逸の若い王、ルウドイヒ二世は、登位すると間もなく、精神上に影響を齎す特殊な憂鬱と、感覚の病的な鋭さにひどく悩まされている風であったが、八年ほど前から、孤独と隠棲に強い執着を示すようになり、マクス公の二女、ゾフィーエ公女殿下(後、アランソン公夫人として美…

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