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顎十郎捕物帳
あごじゅうろうとりものちょう |
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作品ID | 46119 |
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副題 | 03 都鳥 03 みやこどり |
著者 | 久生 十蘭 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「久生十蘭全集 Ⅳ」 三一書房 1970(昭和45)年3月31日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2008-01-02 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 28 ページ(500字/頁で計算) |
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馬の尻尾
「はて、いい天気だの」
紙魚くいだらけの古帳面を、部屋いっぱいにとりちらしたなかで、乾割れた、蠅のくそだらけの床柱に凭れ、ふところから手の先だけを出し、馬鹿長い顎の先をつまみながら、のんびりと空を見あげている。
ぼろ畳の上に、もったいないような陽ざしがいっぱいにさしこみ、物干のおしめに陽炎がたっている。
あすは雛の節句で、十軒店や人形町の雛市はさぞたいへんな人出だろうが、本郷弓町の、ここら、めくら長屋では節句だとて一向にかわりもない。
露路奥の浪人ものは、縁へ出て、片襷で傘の下張りにせいを出し、となりの隠居は歯ぬけ謡。井戸端では、摺鉢の蜆ッ貝をゆする音がざくざく。
「……どうやら、今日の昼食も蜆汁になりそうだの。……いくら蜆が春の季題でも、こう、たてつづけではふせぎがつかねえ……ひとつ、また叔父のところへ出かけて、小遣にありついてくべえか。……中洲の四季庵にごぶさたしてから、もう、久しくなる」
と、ぼやきながら、煙管で煙草盆をひきよせ、五匁玉の粉ばかりになったのを雁首ですくいあげて、悠長に煙をふきはじめる。
北番所の例繰方で、奉行の下にいて刑律や判例をしらべる役だが、ろくろく出勤もせず、番所から持ち出した例帳や捕物控などを読みちらしたり、うっそりと顎を撫でたりして日をくらしている。
時々、金助町の叔父の邸へ出かけて行って、なんだかんだとおだてあげて小遣をせしめると、襟垢のついた羽二重の素袷で、柳橋の梅川や中洲の四季庵なんていう豪勢な料理茶屋へ、懐手をしたまま臆面もなくのっそりと入ってゆき、かくやの漬物で茶漬を喰い、小判一両なげ出してスタスタ帰ってくる。このへんは、なかなかふるっている。
掬うほどの煙草もなくなったと見え、畳の上へ煙管を投げ出してつまらなそうな顔をしているところへ、
「おいでですか」
と、声をかけながら、梯子段から首を出したのが、れいの神田の御用聞、ひょろりの松五郎。
「相変らず、つまらなそうな顔をしていますね。……くすぶってばかりいねえで、ちとお出かけなさいませ。身体の毒ですぜ」
顎十郎は、気のなさそうな声で、
「すき好んで逼塞しているわけじゃないが、先立つものは金でな、やむを得ず、苔を生している」
「そんなら、金助町へお出かけになりゃあいいのに」
「再々でな、その手もきかん。……どうだ、ひょろ松、近頃、叔父に売りつけるような変ったことはないか」
ひょろ松は、かんがえていたが、すぐ膝を拍って、
「ありました、ありました。……でもね、惜しいことに、もう、すっかりかたがついてしまったんで。……ちょっと変った出来事だったんですが……」
「それは怪しからん。……おれに断りもなく、なぜ、かたをつけた」
「へへへ、こりゃどうも……。初はちょいと入り組んだ事件だったんですが、なにしろ、下手人が出て、腹を切って死に、一…