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![]() あごじゅうろうとりものちょう |
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作品ID | 46127 |
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副題 | 11 御代参の乗物 11 ごだいさんののりもの |
著者 | 久生 十蘭 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「久生十蘭全集 Ⅳ」 三一書房 1970(昭和45)年3月31日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2008-01-10 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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神隠し
もう子刻に近い。
寒々としたひろい書院の、金蒔絵の京行灯をへだてて、南町奉行池田甲斐守と控同心の藤波友衛が、さしうつむいたまま、ひっそりと対坐している。
深沈たる夜気の中で、とぎれとぎれに蟋蟀が鳴いている。これで、もうかれこれ四半刻。どちらも咳ひとつしない。
江戸一といわれる捕物の名人。南町奉行所の御威勢は、ひとえにこの男の働きによるとはいえ、布衣の江戸町奉行が、貧相な同心づれとふたりっきりで対坐するなどは、実もって前代未聞、なにかよくよく重大な事態がさしせまっているものと思われる。
きょうの夕刻、お曲輪にちかい四谷見附附近で、なんとも解しかねるような奇異な事件が起った。
十月十三日は、浅草どぶ店の長遠寺の御影供日なので、紀州侯徳川茂承の愛妾、お中[#挿絵]の大井は、例年どおり御後室の代参をすませると、総黒漆の乗物をつらねて猿若町の市村座へまわり、申刻(午後四時)まで芝居を見物し、飯田町魚板橋から中坂をのぼり、暮六ツ(午後六時)すこしすぎに四谷御門、外糀町口の木戸(四谷見附交叉点)を通ってお上屋敷(いまの赤坂離宮のある地域)の御正門へ入ったが、外糀町口の木戸から正門までのわずか五六町のあいだ、――長井の山とお濠と見附と木戸でかこまれた袋のような中で、十三人の腰元が乗物もろとも煙のように消えうせてしまった。
番所の控えには、『酉刻上刻、紀州様御内、御中[#挿絵]以下〆二十二挺』と、ちゃんと記帳されたのに、正門を入ったときは、それが、わずか九挺になっていた。……ところで、その十三挺の乗物はこの袋の中から出ていないのである。
麻布善福寺のヒュースケン襲撃事件があって以来、にわかに町木戸がふやされ、暮六ツを合図に木戸をとざし、それ以後の通行はいちいち記帳されることになっている。
長井の赤土山について安珍坂をおりたとすると、青山一丁目権田原の木戸。
お濠にそって紀伊国坂をくだったとして、そこから外桜田へぬけるには、喰違御門か赤坂御門。
溜池のほうへ行くには赤坂見附の木戸。
赤坂表町へは弾正坂の辻番所。
どんなことがあっても、いずれかの桝形か木戸で誰何され、お改めをうけなければならぬはずなのに、乗物にも徒歩にも、それがぜんぜん通っていない。くどいようだが、木戸うちからは出ていないのである。
消えうせた十三人の腰元のうち七人は、ひと口に『那智衆』といわれる新那智流の小太刀の名手。しばしば諸侯から所望されたほどの名誉のものどもで、毎年十月十五日の紀州侯の誕生日には、おなじく御休息の染岡の腰元と武芸の試合を御覧にいれることになっているが、江戸の下町からあがった染岡の腰元どもの手にあうはずがない。毎年、大井の組が勝をとって、お褒めにあずかってきた。
その恒例の十五日は明後日にせまっている。局あらそいというのはよくあることだから染岡が…