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作品ID | 46146 |
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著者 | 久生 十蘭 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「久生十蘭全集 Ⅵ」 三一書房 1970(昭和45)年4月30日 |
初出 | 「毎日新聞」1954(昭和29)年10月29日~1955(昭和30)年3月24日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2009-12-05 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 273 ページ(500字/頁で計算) |
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クラゲの海
夏は終ったが、まだ秋ではない、その間ぐらいの季節……
沖波が立ち、海はクラゲの花園になっている。渚に犬がいる。子供がいる。漁師が大きな魚籃をかついで、波うちぎわを歩いている。
秋波のうちかえす鎌倉の海は、房州あたりの鰯くさい漁村の風景と、すこしもちがわない。
飯島の端にある叔母の家の広縁からながめると、むこう、稲村ヶ崎の切通しの下までつづく長い渚には、暑い東京で、汗みずくになって働きながら夢想していたような、花やかなものは、なにひとつ残っていない。
愛憎をつかして、サト子は、ぶつぶつひとりごとを言った。
「風景だけの風景って、なんて退屈なんだろう」
ことしの夏こそは、この海岸でなにかすばらしいことが起こるはずだったのに、叔母にはぐらかされて、チャンスを逃してしまった。
鎌倉に呼んでもらいたいばかりに、春の終りごろから、いくども愛嬌のある手紙を書いたが、今年はお客さまですから、とお断りをいただいた。
この家をまるごと、ひと夏、七万円とか十万円とかで貸していたので、お客さまうんぬんは、お体裁にすぎない。
あきらめていたら、夏の終りになって、迎いがあった。
「これからだって、面白いことは、あるにはあるのよ。いいだけ遊んでいらっしゃい」
思わせぶりなことを言い、留守番にした気で、じぶんは、こけしちゃんという、チビの女中を連れて熱海か湯河原かへ遊びに行ってしまった。
なにをして、どう遊べというのか。犬と漁師の子供では、話にならない。土用波くらいは平気だが、海いちめんのクラゲでは、足を入れる気にもなれない。
こんなことなら荻窪の家に居て、牛車で野菜を売りにくる坂田青年でも、待っているほうがよかった。色は黒いが、いい声で稗搗節をうたう。
「おれァ、お嬢さん、好きだよ」
などと、手放しでお愛想を言ってくれる。
「泣いて待つより……」
退屈にうかされて、サト子は、稗搗節をうたいだした。『枯葉』などという、しゃれたシャンソンも知らないわけではないけれど、稗搗節のほうが、今日の気分にピッタリする。
「野に出ておじゃれよ
野には野菊の花ざかりよ……」
調子づいてうたいまくっていると、地境の生垣の間から大きな目が覗いた。
「あんなところから覗いている」
すごい目つきで、サト子が地境の生垣のほうを睨んでやると、それでフイと人影が隠れた。
名ばかりの垣根で、育ちのわるい貧弱なマサキがまばらに立っているだけだが、その前の芙蓉が、いまをさかりと咲きほこっているので、花の陰になって、ひとのすがたは見えない。
女ではない、たしかに男……灰色のポロ・シャツを着ているらしい。
生垣のむこうは、となりの地内だから、なにをしようと勝手なようなもんだけれど、じっと垣根の根もとにしゃがんでいるのが、気にかかる。
サト子は籐椅子から腰をあげると、座敷を…