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諏訪湖畔冬の生活
すわこはんふゆのせいかつ |
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作品ID | 46174 |
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著者 | 島木 赤彦 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「心にふるさとがある3 川に遊び 湖をめぐる」 作品社 1998(平成10)年4月25日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2006-12-17 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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富士火山脈が信濃に入つて、八ヶ岳となり、蓼科山となり、霧ヶ峰となり、その末端が大小の丘陵となつて諏訪湖へ落ちる。その傾斜の最も低い所に私の村落がある。傾斜地であるから、家々石垣を築き、僅かに地を平らして宅地とする。最高所の家は丘陵の上にあり、最底所の家は湖水に沿ひ、其の間の勾配に、百戸足らずの民家が散在してゐるのである。家は茅葺か板葺である。日用品小売店が今年まで二戸あつたが、最近三戸に殖えた。その他は皆純粋の農家である。
山から丘陵、丘陵から村落へとつづく木立が、多くは落葉樹であるから、冬に入ると、傾斜の全面が皆露はになつて、湖水から反射する夕日の光が、この村落を明く寒くする。寒さが追々に加はつて、十二月の末になると、湖水が全く結氷するのである。
湖水といふても、海面から二千五百尺の高所にあるのであるから、そろそろ筑波山あたりの高さに届くであらう。湖水よりも猶高い丘上の村落は厳冬の寒さが非常である。朝、戸外に出れば、鬚の凍るのは勿論であるが、時によると、上下睫毛の凍著を覚えることすらある。斯様な時は、顔の皮膚面に響き且つ裂くるが如き寒さを感ずる。
信濃南部の松本地方、諏訪地方、伊那木曾地方は、冬に入つて多く快晴がつづく。雪が少く、空気が乾いて、空に透明に過ぎるほどの碧さを湛へる。皮膚に響くが如き寒さを感ずるのは、空気が乾いてゐるためである。殊に、諏訪地方は、信濃の他の諸地方に比して更に高所にあるから、寒さの響き方がひどいのである。寒さを形容するに響くといふ如き詞を用ひ得るは、空気の乾燥する高地に限るであらう。南信濃、殊に私の住んでゐる諏訪地方などには、この詞が尤もよく当て嵌まるのである。
この頃になると、湖水の氷は、一尺から二尺近くの厚さに達することがある。それ程の寒さにあつても、人々は家の内に蟄して、炬燵に臀を暖めてゐることを許されない。昼は氷上に出て漁猟をする人々があり、夜は氷を截つて氷庫に運ぶ人々がある。氷庫といふのは、程近い町に建てられてある湖氷貯蔵の倉庫である。
この頃、私の村では、毎朝未明から、かあんかあんといふ響が湖水の方から聞えて来る。これは、人々が氷の上へ出て、「たたき」といふ漁をするのである。長柄の木槌で氷を叩きながら、十数人の男が一列横隊をつくつて向うへ進む。槌の響きで、湖底の魚が前方へ逃げるのを段々追ひつめて予め張つてある網にかからせるのが「たたき」の漁法である。私の家は、村の最高所にある。庭下の坂が直ぐ湖氷に落ちてゐるのであるから、一列の人々を見るには、可なり俯し目にならねばならぬ。俯し目になつた視線が、氷上の人まで達する距離は可なりあるのであるが、氷上の人の槌を揮ふ手つきまで明瞭に見える。氷を打つ槌先が視覚に達する時、槌の音はまだ聴覚に達しない。次の槌を振り上げるころに漸く槌音が聞こえる。それで、槌の運動と音とが交錯…