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秋草の顆
あきくさのみ
作品ID46175
著者佐左木 俊郎
文字遣い新字新仮名
底本 「佐左木俊郎選集」 英宝社
1984(昭和59)年4月14日
初出「今日の文学」1931(昭和6)年1月号
入力者田中敬三
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-08-10 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 寡黙と消極的な態度とは私達一族の者の共通性格と言ってもいいのだ。私は郷家に帰省して、二三日の滞在中、殆んど父母と言葉を交わさずに帰って来ることが少なくなかった。父もまた、田舎からわざわざ私達に会いに出て来ながら、妻の問いに対してほんの二言か三言の答えをするだけで、私とは殆んど口をきかずに帰って行くことが多い。別に私達親子の間の愛情が薄いからというわけではないのだ。私が、父の顔から父の言葉を聞くことが出来るのと同じように、父もまた私の顔から私の言葉を聞き取ってくれるのだ。私達はだからお互いに顔を見合わせればそれでいいのである。私達のそういう性格は、だが、しばしば他人からの誤解を受けて来た。他人から物事を頼まれると、それを断ることの出来ない性分なので、そういう場合には、いつも善良な人間のように思われるのであるが、消極的な態度がどうかすると傲慢な人間として誤解されることがあるのだ。
       *
 併し、私達一族の者の間では、それが当然過ぎるほど当然の性格とされている。誰もそれに就いて疑惑を抱くようなことは無いのだ。従兄弟同士が沈黙を挟んで五六時間も対座することがある。叔父と甥とが、同じ家に棲んでいながら、二週間も三週間も口をききあわずに過ごすようなことは決して珍しいことではない。だがやはり、叔父は甥に対して、叔父としての極めて普遍的な愛情を抱いているのだ。自分が読んで見て面白い本であれば、それを私の机の上に載せて置いてくれた。古い腕時計が自分には不用なものになって来ると、やはり、いつの間にか私の机の上に載せて置いてくれるのであった。そして叔父は又それだけで、別に「面白い本だろう?」とも「割合に時間が正確だろう?」とも訊くわけではない。私の方からもまた、それに対して「有難う」とも「面白かった」とも言ったことは無いのだ。けれども、叔父が病気で入院をすれば、私はやはり毎日その病院へ出掛けて行った。併し「どんな具合ですか?」というようなことを言ったことは無かった。ただそのベッドの横に坐り続けていては帰って来るだけであった。叔父もまた、私が行ってやらないとひどく寂しがるくせに、決して「有難う」と言ったこともなければ、「もう帰るのか?」と言ったことも無いのだった。
       *
 私達のこういう性格は、私の妻をひどく驚かした。妻が特別おしゃべりな女だからではない。新婚当時の私は、妻から言葉をかけられると、顔を赤くして、吃りどもりそれに答えるような人間であったからだ。
 併し、まもなく妻が私の性格に慣れたことはもちろんである。妻はけれども、私達一族のこの性格には、その後もしばしば驚かされるのであった。甚だしいのは田舎の伯父である。自分の伜が田舎の中学を卒業して東京の私立大学へ這入ることになったので、私の家に伜を預けたというわけなのだが、伜を連れて来て、別に「置いても…

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