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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46199
副題20 遊芸には縁のなかったはなし
20 ゆうげいにはえんのなかったはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-01 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 上野の戦争が終んで後私が十八、九のことであったか。徳川家に属した方の武家などは急に生活の道を失い、ちりぢりばらばらになって、いろいろな身惨な話などを聞きました。でも、町家の方はそうでもなく、やっぱり、夏が来れば店先へ椽台などを出し、涼みがてらにのんきな浮世話しなどしたもの……師匠は仕事の方はなかなかやかましかったが、気質は至って楽天的で、物に拘泥しない人であり、正直、素樸で、上下に隔てなく、弟子たちに対しても、家内同様、友達同様のような口の利き方で、それは好人物でありました。
 或る晩、家中、店先の涼み台で、大河から吹く風を納れて、種々無駄話をしていました折から、師匠東雲師は、私に向い、
「幸吉、お前も仕事ばかりに精出しているのは好いが、何か一つ遊芸といったようなものを稽古して見たらどうだい。俺は鳳雲師匠の傍にいて、やっぱり彫り物をするほかには何一つこれといって坐興になるようなことを覚えもしなかったが、人間は、何か一つ、義太夫とか、常磐津とか、乃至は歌沢のようなものでも、一つ位は覚えているのも悪くないものだぜ。今の中はこれでも好いが、年を老ってから全くの無芸でも変テコなものだよ。私などもいろいろの宴会なぞの席で芸なしで困ることが度々ある」
などいい出され、それから師匠は、仕事ばかりに熱中するは結構なれども、そればかりでは彫刻でもやろうというものには、頭が固くなるともいえる。それで、何か気晴らしの緩和剤として、遊芸をやって見よ。お前の性質ならば間違いもあるまいから、など至極打ち解けたお言葉に、私も十八、九の青年のこととて心動き、何か一つ自分もやって見ようかな、という気持になった。
 しかし、私は声を出して歌を唄う方のことは、親から厳しく止められている。これは例の富本一件で、腹に滲み込んでいることであるから、声の方の芸事は問題ではないが、声を出さない方の芸事ならば、師匠の申さるる通り、やって見ても差しつかえもなかろうということを考えました。そこで私は偶然思い附いたことがあったので、これは旨い考えだと思いました。
 その頃、師匠の家は駒形(今の鰌屋の真向う)にあって表通り、裏は駒形河岸、河岸の家の尻と表通りの家の尻とが相接していて其所に長屋の総井戸が、ちょうど師匠の家の台所口にある。隣家は津田という小児科の医者、その隣りが舟大工、その隣りが空屋であったが、近頃其所へ越して来た母娘の人があった。これは徳川の扶持を離れた武家出の人で、母娘ともに人柄であったが、その娘の方が踊りの師匠をこの家へ来てから始めている。私がふと思い附いたというのはこれで、此所へ踊りの稽古に行って見ようかと思い立ったのでありました。
 しかし、私は、今日まで、そういうことなど考えて見たことのない生初心な若者故、いざ行くとなると気が差してなかなか行き渋る。が、或る晩、晩飯を済まし、裏口から、酒の…

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