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日記
にっき |
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作品ID | 46242 |
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副題 | 09 一九二三年(大正十二年) 09 せんきゅうひゃくにじゅうさんねん(たいしょうじゅうにねん) |
著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第二十三巻」 新日本出版社 1979(昭和54)年5月20日 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2013-05-27 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 133 ページ(500字/頁で計算) |
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二月十日
二三日前から、東京には珍らしい大雪があった。九日に鎌倉に来ようと云う自分には、少なからぬ事の行違いを生ぜさせるのではあるまいかと危ぶまれた。七日に、戸外では北海道のようだと云う程降雪のある畳廊下で荷作りをして居ると、母上が、止めろと、再三再四云われる。あまり火の気のない廊下は寒いから、一週間程以前からぬけずに居る風邪が、きっと重ると、云われるのである。
丁度泊りがけで鎌倉に行って居た国男も戻り、屡[#挿絵]噂にきく山田氏ツーさん等も見えたので、自分も荷作りを中止して仲間入りをした。
けれども、九日に立つ計画を変えたのではない。
八日。
荷物は出来る丈簡単にと思っても、とにかく宿屋へ行くのではないし、冬ではあるので、夜具と、僅かな着換え丈でも相当にある。本の木箱、鑵づめを入れたもの等、預けるのだけでも四つ重いのが出来た。
夜分、珍らしい事に、国男さんが菰包みを手伝って呉れる。電話室を一杯にして大騒ぎをした。清が器用な手つきで、「えぼない」を結ぶ。
九日は金曜で、学校はどうでもよい? と云い、国男さん鎌倉へ送って来て呉れると云う。独りよりは数倍よし。
九日、
九時四十幾分かので立つ積りで、俥屋が早く来て呉れた。が、荷がまだすっかり出来上って居ない。木箱の蓋が打ちつけてないのに、荷札もつけてない。到頭十時二十分の大船で乗り換えるのにした。
国男さんが居るので、自分は何となく安心を覚え、何をまかせて居るのではないが、ひどくまかせ切った楽な気分で汽車に乗った。女性特有の心理か? プラットフォームに行くのに、あの天井の低い廊を、ひどく馳ける人がある。自分は
「もう列車が入って居るの?」
と訊いた。
「もうとっくよ。此処から出るんだもの」
「其那に時間がないの?」
「もう七分ばかり。常盤橋へ来た頃十分位ほか無かった。云うとあわてるから……」
自分は、風呂敷包みを小脇に抱え、背は低いが、正面を見て大股に足を運ぶ彼の横顔を一寸見た。
神戸行の列車なので、転任か何か、多勢見送り人の群って居る車室に入った。
主人らしいフロックコートを着た三十代の人は、出発間際の手持無沙汰で、半円を描いた見送り人に対し、車外に立って居る。すぐ窓の内部では、妻らしい人が、自分も泣きそうな風で、むずかる四つばかりの娘をすかして居る。
東京駅を出、品川辺で、乗込んで居た妹らしい若い婦人も別れを告げると、その細君は、あまり新らしくない白い手巾を目に当て、田舎風に、而も真心をあらわして啜泣き始めた。
「可哀そうにね。彼那に悲しいのかしら」
「僕、実際いやよ、あんなのを見ると堪らなくなっちゃう。別のに乗ればよかった」
自分は、父と一緒に米国に立った時の心持を思い出した。決して彼那に涙は出なかった。
又、Aと別れて日本に独り帰る時のことを思い浮べた。あの時は、泣くところ…