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雨の上高地
あめのかみこうち
作品ID4625
著者寺田 寅彦
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 中部日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
初出「登山とスキー」1935(昭和10)年10月
入力者林幸雄
校正者門田裕志
公開 / 更新2003-06-25 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 山好きの友人から上高地行を勧められる度に、自動車が通じるやうになつたら行くつもりだと云つて遁げてゐた。その言質をいよ/\受け出さなければならない時節が到来した。昭和九年九月廿九日の早朝新宿駅中央線プラットフォームへ行つて汽車を待つてゐると、湿つぽい朝風が薄い霧を含んでうそ寒く、行先の天気が気遣はれたが、塩尻まで来るととうとう小雨になつた。松本から島々までの電車でも時々降るかと思ふと又霽れたりしてゐた。行手の連峯は雨雲の底面で悉くその頂を切り取られて、山々はたゞ一面に藍灰色の帷帳を垂れたやうに見えてゐる。その幕の一部を左右に引きしぼつたやうに梓川の谿谷が口を開いてゐる。それが、未だ見ぬ遠い彼方の別世界へこれから分けのぼる途中の嶮しさを想はせるのであつた。
 島々からのバスの道路が次第々々に梓川の水面から高く離れて行く。或地点では車の窓から見下ろされる断崖の高さが六百尺だと云つて女車掌が紹介する。それが六百尺であることが恰もその事掌のせゐでもあるかのやうに何となく、得意気に聞こえて面白い。
 近在の人らしい両親に連れられた十歳位の水兵服の女の子が車に酔うて何度ももどしたりして苦しさうであるが、苦しいとも云はずに大人しく我慢してゐるのが可愛想であつた。白骨温泉へ行くのださうで沢渡で下りた。子供も助かつたであらうが自分もほつとした。もどしたものを母親が小さな玩具のバケツへ始末してゐた。そのバケツの色彩が妙に眼について今でも想出される。
 途中で乗客が減つたのでバスから普通の幌自動車に移された。その辺から又道路が川の水面に近くなる。河の水面のプロフィルが河長に沿うて指数曲線か雙[#「雙」は底本では「隻」]曲線のやうな恰好をしてゐる。その脇に沿うて略同じ勾配の道路をつけるから、自然に途中で道と河の高度差の最大な処が出来るのであらうかと思はれた。
 水力発電所が何箇所かある。その中には日本一の落差で有名だといふのがある。大正池からそこまで二里に近い道程を山腹に沿うて地中の闇に隧道を掘り、その中を導いて緩かに流して来た水を急転下させてタービンを動かすのである。この工事を県当局で認可する交換条件として上高地迄の自動車道路の完成を会社に課したといふ噂話を同乗の客一人から聞かされた。かうした工事が天然の風致を破壊すると云つて慨嘆する人もあるやうであるが自分などは必ずしもさうとばかりは思はない。深山幽谷の中に置かれた発電所は、吾々の眼には矢張その環境にぴつたりはまつてザハリッヒな美しさを見せてゐる。例へば悪趣味で人を呼ぶ都会の料理屋の造り庭の全く無意味なこけおどしの石燈籠などよりも、寸分無駄のない合理的な発電所や変圧所の方がどの位美しく気持がよいか比較にならないやうに思はれるのである。
 進むに従つて両岸の景色が何となく荒涼に峻険になつて来るのが感ぜられた。崖の崩れた生ま生ましい…

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