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日記
にっき |
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作品ID | 46257 |
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副題 | 27 一九四四年(昭和十九年) 27 せんきゅうひゃくよんじゅうよねん(しょうわじゅうきゅうねん) |
著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第二十五巻」 新日本出版社 1981(昭和56)年7月30日 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 富田晶子 |
公開 / 更新 | 2019-06-29 / 2019-05-28 |
長さの目安 | 約 129 ページ(500字/頁で計算) |
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一月一日(土曜)曇 寒
ことしから又日記をつける。自分の生活をはっきりさせるために。一日のうち、自分がどんなに生活を営んだかということをはっきりさせるために。去年は、ここの家での生活というものを知らず、生活の本質を知らず、非常に多く労し、多く苦しい思いもし、SKの間で旋回した。今年はそういうことはなくして、自分の勉強や生活態度というものを守って暮す技術を身につけたいと思う。
今年は日記が本やに出ない。仕方がないから三年前の日記をもち出して、つける。曜日が三日前についているのは不便だが。太郎、咲、昨夜おそく赤倉からかえる。太郎の身ぶりが一寸かわっていて面白い。国、昨日午後自分が巣鴨へ行っている間に国府津へ立った。寿に私がいそがしそうにしているのや家のガタガタがいやだから行くと云っていた由。寿二十九日に長者町へ引越し。どうしてもここで年越しはしないとガンばっていたので、ひどい無理をした。が三十日にかえって元旦も食堂のアンカでごろごろしている。
〔欄外に〕
太郎の学校の式の前、みんなで雑煮をたべる。予想していた顔ぶれとは大分ちがった。
本間の息子と娘来る。千世紙ではった小箱、羽織ひも、私達はどう生きるか、五円也、やる。ちりがみ、炭くれた。
殆ど一日臥床。疲れが出た。
この年越しは三十一日に面会した。十年来始めて。
一月二日(日曜)
〔発信〕第一信
寿江子千葉へ戻るため、千葉迄咲、送って行ったが切符買えぬ由。戻って来る。リュック背負ってフーフー。
太郎、近藤さんの長男と赤倉へ行くときまり用意、大さわぎ。
巣鴨へ手紙かく。午後じゅうかかった。
夜、ノヤさんの相談のためにパパ来。咲行き。
子供が大きくなって、子供づれの初旅に出る。親たちの生活に新しい一つの水脈が流れ入ったように新鮮なところが出来て、ナカナカよろしい。
夜、昨年三月から十二月迄の出納をしらべた。
私の生活はこれ迄、取るだけ使うという形か、さもなければ無くてやってゆくという、いずれにせよ単純きわまる形でやられて来た。しかし、これからの数年は、そういう単純さは役に立たないと思う。金以上の問題がある。だから金の使いかたについては賢明でなければならない。金そのものに終るとして考えれば、それ迄だが。金より先の問題のために、考えられた歩き方で金の道を通過しなければならないということがある。
〔欄外に〕
笹の根に霜の柱はきらめきて うらら冬日は 空にあまねし
一月三日(月曜)寒
〔発信〕順子さん、チーちゃん、鈴お礼。
太郎五時に出発した。寿やっと帰れた大富よんで。
体がギスギスでおきられない。今年は三※[#小書き片仮名ガ、48-19]日はね正月となった。午後一時半にやっと床をはなれる。心機一転したから気分はよいが、暮からの体の疲れ猛烈だ。
夕方、紀来。シュナイダーについて書いた本を…