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旅日記
たびにっき |
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作品ID | 4627 |
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副題 | 東海道線 とうかいどうせん |
著者 | 二葉亭 四迷 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「現代日本紀行文学全集 中部日本編」 ほるぷ出版 1976(昭和51)年8月1日 |
初出 | 「東京朝日新聞」1908(明治41)年7月8~14日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2004-12-28 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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社命を畏こまつて雲の彼方の露都を志し六月十二日雨持つ空の何となく湿つぽい夕弱妻幼児親戚の誰彼、さては新知旧識のなつかしき人々に見送られ新橋より大阪行の客となる。二十年来の知己横山天涯君統計好きの乾びた頭にも露の情けの湿はあつて同車して国府津まで見送られお蔭で退屈を免れたのは嬉しかつたが、国府津からは全くの一人となつてとうとう雨さへポツ/\降つて来た。隣席に一露人の観光の為来朝して今浦塩へ帰るといふのが有つたから、それから此人と話し/\行く。狙撃聯隊の中尉とかとて名をチョールヌイ君といふさう。チョールヌイとは黒いの義、随分異つた名もあればあるものだ。山北で意地汚なしの本性を顕して給仕に命じて例の香魚鮨を買はんとすると、チョールヌイ君も私にもといふ。君、鮨といふものは醋につけた魚を背負つた米の飯だよといふと、チョールヌイ君おゝといつて驚いて出した手を引込ます。予の分を裾分けしやうとしたが、先生首を掉つてどうしても食はなかつた。
やがて更行くまゝにそこらに鼾声グウ/\と起る。首をグタリと曲げダラシなく羽目に凭れた寝姿も余りみつとも好いものでない。況や涎を垂らす日になると、目も当てられないが、憎むべきは二人詰のソファー式ベンチを一人で占領して肱掛を枕に心地よさゝうに眠入りながら、時々首を挙げて寐惚声に首が痛くて眠られぬといふ奴等だ。
チョールヌイ君寐むさうな欠をして曰く日本は厭な処だと、余驚いて振向くと、透かさず汽車で寝られんと言足す。余いふ四円お出しなさい、いつも楽に寝られると、先生一寸首を縮め黙つて両手を開く。
負惜しみをいふやうなものゝ、余も実は同感だつた。何しろ出発前のドサクサに三晩といふもの碌に寝なかつたから、少々寐むたい。頻りに生欠びが出る。チョールヌイ君はいつか黙つて首を垂れて大柄が切りに余にもたれ掛つて来る。勢ひ此方からも凭れ気味にせぬと、釣合が取れぬ。之を日露もたれ合といふと、心の中で笑ひながらしばらく黙々してゐるとふと、今日新橋で分れた人々の面が目前にちらつく。末の健坊が誰やらに抱かれて吃驚して四下を視廻してゐる面、福田女史に何か言はれてはにかむだやうな富坊の面が見える、大きな三山主筆の面が見える、酒太りの風浪兄の面も見える。細長い松山兄の面も見える。三山君は少し空嘯いてフヽと笑ふ癖がある、風浪君のは下唇を裏まで見せてムッと口を結び六かしい面をするのが癖だ、松山君の言葉には抑揚がないなぞと他愛のない事を思ひながら他愛なくなる。
名古屋で目が覚めて米原でチョールヌイ君に別れ大阪で下車して宿につくなり、服も脱がずに其儘グッスリ寐込むだ。
其二
敦賀行
一時間ばかりして眼を覚ますと、顔を洗ふ、飯を食ふ、腹が出来るや否や長田君を親友ごかしに放たらかして置いて急で社へ出た。
其三
大阪本杜で打合せを済まして大阪へ着…