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作品ID | 46271 |
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著者 | 中井 正一 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「中井正一全集 第三巻 現代芸術の空間」 美術出版社 1981(昭和56)年5月25日 |
初出 | 「光画」1932(昭和7)年7月号 |
入力者 | 鈴木厚司 |
校正者 | 染川隆俊 |
公開 / 更新 | 2008-05-26 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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インドの王様が――たいていの物語はこれで始まる――二人の画家に壁画を描かしめた。その壁は相面した二つの巌壁である。ようやく期日が迫るにあたって、一人の画家は彩色美しく極楽の壮厳を描きあげていった。しかるに他の一人の画家はいっこう筆を取らない。ただ巌壁を磨いて絵の下地をのみ造っている。ついにかくして、その日はきた。王様は大きな期待をもって巌壁を訪れた。一方の壁は七宝の樹林、八功の徳水、金銀、瑠璃、玻璃、をちりばめたる清浄の地が描かれている。まさに火宅の三界をのがれて、寂かに白露地に入るの思いがあった。王はうっとりとそれに見入るのであった。ようやくひるがえって他の一方の壁に王は視線を向ける。突如、索然たる空気が人々を覆った。そこには何も描かれてはいなかったのである。王の顔色にはあきらかに不快の徴しを現わした。「描かれてはいないではないか。」しかし、その問いよりも画家の答のほうが人々を驚かせた。
「よくごらん下さりませ。」三度の問いに対して、三度の同じ答えが繰り返された。そして長い沈黙が巌壁を支配した。どこよりともなく、誰によってともなくうめき声が洩れはじめる。そして、それはついに賛歎となってすべての人々をも囚えた。王もまた三嘆之を久しうして去ったという。すなわち、鏡のごとく磨かれたる壁にはあい面して描かれたる寂光の土がうつしだされて、あまつさえそこに往来する王様の姿もが共にあい漾映して真の動ける十万億仏土を顕現したるがさまであったという。
画家の機知もさることながら、このミトスの中にはかなり深い意味で、芸術現象の本質的なる構造をあらわにしていると思う。
そこには描くことと映すことの内面にある芸術性への指示が潜んでいる。映すことの構造はうつすが示すように移す、映す、覆すなどの等値的射影を意味している。場所的に一方より一方に移動せしめ、しかも関連的等値性をそれが帯びている場合、それをうつすと人々はよぶのである。
高山に登った人々の経験することであるが、山の頂きにたどりついて、脈々と連なる尾根を見晴らす時、何か叫びだしたくなる。そしてヨーホロロ…………ォと山に特有の調子でどこへともなく喚びかける。否、全山の清澄な空気と無限の寂けさへ向って喚びかける。そしてしばらく耳をすます時、山々の嶺より帰りきたるみずからの声がいろいろの変形を受けながらひろびろとひろがって、かぎりない空間に消えていく、ある時は見えない谷間から人の声をもって、ヨーホロロ…………ォと喚びかえさるることすらある。一つの声が無限の空間の中に喚びかえし、木魂し反響するその深い感興こそ、胸の中のあらゆる幾山河に響かうそのひびきにもそれは似るであろう。
かかる反響、射影こそ芸術の原現象の象徴でなくてはならない。移し、映し、覆す、すべての現象は、かかるただちに声をうつしあう射影的現象でもなくてはならない。…