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聴衆0の講演会
ちょうしゅうゼロのこうえんかい
作品ID46282
著者中井 正一
文字遣い新字新仮名
底本 「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」 てんびん社
1972(昭和47)年11月20日
初出「朝日評論」1950(昭和25)年4月
入力者鈴木厚司
校正者染川隆俊
公開 / 更新2006-12-13 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夢のような終戦、疎開先から帰る荷馬車のほこりっぽい街、内海の潮の香のただよう尾道市の図書館の暗い部屋で、私は、何となく「暗澹」という文字を胸に書いてみた。
 何処から、このごみごみした尾道市に、文化運動として、手をつけてよいのか。
 十月四日治安維持法が断ち切られて最初の日曜日、十月七日、私はやむにやまれぬ心持でまず講演会を開いたのであった。日曜日の毎週朝九時からは学生を対象として、水曜日の午後二時からは一般婦人を対象として、二つの講演会と、金曜日の午後一時からは座談会を計画した。日曜日のテーマは「微笑」、金曜日のテーマは「東方の美」であった。
 昭和十二年に反戦論者の疑いで弾圧をうけてより、同じく十六年に自由の身となってより、二十一年までは、予防拘禁におびやかされ通したこの十年の後に、はじめて、あたりまえのことを自由に語れることは、瞳孔がしまるほどの眩めくような明るい軽いおもいであった。たまりにたまった思いは、せきあえぬほどに口にあふれて出て来た。恐らく、独りで勝手にしゃべっていたに違いない。二時間位ずつぶっつづけてやっていた。初めの聴衆は二十人位いた。しかし、だんだん減りはじめた。十人になり、五人になってゆく。テーマも面白く変えてみた。益々内容を充実してみた。勿論決死の努力をこめての熱演である。しかし滑稽なことには、いよいよ淋れる一方である。
 その頃七十七歳であった母親は、いつでも歩いて聴きにゆける私の講演会には、判ってもわからなくても聴きにくるのであったが、私はこれには弱ってしまった。だんだん減ってゆく聴衆の中に、どんなにかくしても、チャンとモンペをはいてやって来る母親が、いかにも可哀想だといった顔付きで、三人位の聴衆にまじって話をきいている。このことは、だんだん私には耐えがたいこととなってきた。館は映画館「太陽館」のすぐ近所である。私が一番聴かしたい聴衆のマフラをつけた戦争帰りの若い青年達は、図書館の門までカギになって行列をし、私の待っている講演会場の窓からその横姿が見えているのである。
 誰も来ない講演会を、しかも母親と二人で一時間ばかり待って、ついに放棄するハメに二度も陥ったのであった。いかにも気の毒そうに眼のやり場のない私を、なんにもいわずにじっと見ていた母が、私には夢の中で突然、物が巨大になる瞬間のような異常な存在のように、たとえがたいものとなって胸にしみてならなかった。

 私はこの敗衄を三カ月つづけた。そして一度は、大衆が愚かであって、啓蒙の困難は何れの時代でも経験するところの、ヒロイックな悲劇性を帯びるものであると、いわゆる深刻型のセンチ性でもって片づける誘惑に惹かれた。しかしたとえ二人でも、母ともう一人の青年に語るこの苦痛の中に、私は一つ一つものを憶えていった。実験もしていった。
 つまり、私は、大衆、殊に封建性そのものの中に沈澱…

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