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烏帽子山麓の牧場
えぼしさんろくのぼくじょう
作品ID4630
著者島崎 藤村
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 中部日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
初出「中學世界 千曲川のスケッチより」博文館、1911(明治44)年6月
入力者林幸雄
校正者土屋隆
公開 / 更新2004-12-28 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 水彩畫家B君は歐米を漫遊して歸つた後、故郷の根津村に畫室を新築した。以前、私達の學校へは同じ水彩畫家のM君が教へに來て呉れて居たが、M君は澤山信州の風景を描いて、一年ばかりで東京の方へ歸つて行つた。今ではB君がその後をうけて生徒に畫學を教へて居る。B君は製作の餘暇に、毎週根津村から小諸まで通つて來る。
 土曜日に、私は斯の畫家を訪ねるつもりで、小諸から田中まで、汽車に乘つて、それから一里ばかり小縣の傾斜を上つた。
 根津村には私達の學校を卒業したOといふ青年が居る。Oは兵學校の試驗を受けたいと言つて居るが、最早一人前の農夫として恥しからぬ位だ。私はその家へも寄つて、Oの母や姉に逢つた。Oの母は肥滿した、大きな體格の婦人で、赤い艶々とした頬の色などが素樸な快感を與へる。一體千曲川の沿岸では女がよく働く、隨つて氣象も強い。恐らく、これは都會の婦人ばかり見慣れた君なぞの想像もつかないことだらう。私は又、斯の土地で、野蠻な感じのする女に遭遇ふこともある。Oの母には其樣な荒々しさが無い。何しろ斯の婦人は驚くべき強健な體格だ。Oの姉も勞働に慣れた女らしい手を有つて居た。
 私はB君や、B君の隣家の主人に誘はれて、根津村を見て廻つた。隣家の主人はB君が小學校時代からの友達であるといふ。パノラマのやうな風光は、斯の大傾斜から擅に望むことが出來た。遠く谷底の方に、千曲川の流れて行くのも見えた。
 私達は村はづれの田圃道を通つて、ドロ柳の若葉のかげへ出た。谷川には鬼芹などの毒草が茂つて居た。小山の裾を選んで、三人とも草の上に足を投出した。そこでB君の友達は提げて來た燒酎を取出した。斯の草の上の酒盛の前を、時々若い女の連が通つた。草刈に行く人達だ。
 B君の友達は思出したやうに、
「君とこゝで鐵砲打ちに來て、半日飮んで居たつけナ」と言ふと、B君も同じやうに洋行以前のことを思出したらしい調子で、
「もう五年前だ――」
 と答へた。B君は寫生帳を取出して、灰色なドロ柳の幹、[#改行はママ]
 風に動くそのやはらかい若葉などを寫し寫し話した。一寸散歩に出るにも、斯の畫家は寫生帳を離さなかつた。
 翌日は、私はB君と二人ぎりで、烏帽子が嶽の麓を指して出掛けた。私が牧場のことを尋ねたら、B君も寫生かた/″\一緒に行かうと言出したので、到頭私は一晩厄介に成つた。尤も斯の村から牧場のあるところへは、更に一里半ばかり上らなければ成らない。案内なしに、私などの行かれる場處では無かつた。
 夏山――山鶺鴒――斯ういふ言葉を聞いた丈でも、君は私達の進んで行く山道を想像するだらう。「のつペい」と稱する土は乾いて居て灰のやう。それを踏んで雜木林の間にある一條の細道を分けて行くと、黄勝ちなすゞしい若葉のかげで、私達は旅の商人に逢つた。
 更に山深く進んだ。山鳩なぞが啼いて居た。B君は歩きながら飛騨の旅の話…

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