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建築の本義
けんちくのほんぎ
作品ID46334
著者伊東 忠太
文字遣い旧字旧仮名
底本 「木片集」 萬里閣書房
1928(昭和3)年5月28日
初出「建築世界」1923(大正12)年9月
入力者鈴木厚司
校正者しだひろし
公開 / 更新2007-12-02 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 近頃時々我輩に建築の本義は何であるかなどゝ云ふ六ヶ敷い質問を提出して我輩を困らせる人がある。これは近時建築に對する世人の態度が極めて眞面目になり、徹底的に建築の根本義を解決し、夫れから出發して建築を起さうと云ふ考へから出たことで、この點に向つては我輩は衷心歡喜を禁じ得ぬのである。
 去りながらこの問題は實は哲學の領分に屬するもので、容易に解決されぬ性質のものである。古來幾多の建築家や、思想家や、學者や、藝術家や、各方面の人がこの問題に就て考へた樣であるが、未だ曾て具體的徹底的な定説が確立されたことを聞かぬ。恐らくは今後も、永久に、定論が成立し得ぬと思ふ。若しも、建築の根本義が解決されなければ、眞正の建築が出來ないならば、世間の殆んど總ての建築は悉く眞正の建築でないことになるが、實際に於ては必しも爾く苛酷なるものではない。勿論この問題は專門家に由て飽迄も研究されねばならぬのであるが。我輩は、茲には深い哲學的議論には立ち入らないで、極めて通俗的に之に關する感想の一端を述べて見よう。
 我輩は先づ建築の最も重要なる一例即ち住家を取て之を考へて見るに「住は猶食の如し」と云ふ感がある。食の本義に就て、生理衞生の學理を講釋した處で、夫れ丈けでは決して要領は得られない、何となれば、食の使命は人身の營養にあることは勿論であるが、誰でも實際に當つて一々營養の如何を吟味して食ふ者はない、第一に先づ味の美を目的として食ふのである。併し味の美なるものは多くは又同時に營養にも宜しいので、人は不知不識營養を得る處に天の配劑の妙機がある。然らば如何なる種類の食物が適當であるかと云ふ具體的の實際問題になると、その解決は甚だ面倒になる。熱國と寒國では食の適否が違ふ。同じ風土でも、人の年齡によつて適否が違ふ、同じ年齡でも體質職業等に從て選擇が違ふ。その上個人には特殊の性癖があつて、所謂好き嫌ひがあり、甲の好む處は乙が嫌ふ處であり、所謂蓼喰ふ蟲も好き好きである。その上個人の經濟状態に由て是非なく粗惡な食で我慢せねばならぬ人もあり、是非なく過量の美味を食はねばならぬ人もある。畢竟十人十色で、決して一律には行かぬもので食の本義とか理想とかを説いて見た處で實際問題としては餘り役に立たぬ。夫れよりは「精々うまい物を適度に食へ」と云ふのが最も簡單で要領を得た標語である。建築殊に住家でも、正にこの通りで、「精々善美なる建築を造れ」と云ふのが最後の結論である。然らば善美とは何であるかと反問するであらう。夫は食に關して述べた所と同工異曲で、建築に當てはめて云へば、善とは科學的條件の具足で美とは藝術的條件の具足である。さて、夫れが實際問題になると、土地の状態風土の關係、住者の身分、境遇、趣味、性癖、資産、家族、職業その他種々雜多の素因が混亂して互に相交渉するので、到底單純な理屈一遍で律することが出來ない。善と知…

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