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茶の湯の手帳
ちゃのゆのてちょう
作品ID46341
著者伊藤 左千夫
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆24 茶」 作品社
1984(昭和59)年10月25日
初出「馬醉木」1906(明治39)年1月、3月、10月
入力者よしだひとみ
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-08-26 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    一

茶の湯の趣味を、真に共に楽むべき友人が、只の一人でもよいからほしい、絵を楽む人歌を楽む人俳句を楽む人、其他種々なことを楽む人、世間にいくらでもあるが、真に茶を楽む人は実に少ない。絵や歌や俳句やで友を得るは何でもないが、茶の同趣味者に至っては遂に一人を得るに六つかしい。
勿論世間に茶の湯の宗匠というものはいくらもある。女子供や隠居老人などが、らちもなき手真似をやって居るものは、固より数限りなくある、乍併之れらが到底、真の茶趣味を談ずるに足らぬは云うまでもない、それで世間一般から、茶の湯というものが、どういうことに思われて居るかと察するに、一は茶の湯というものは、貴族的のもので到底一般社会の遊事にはならぬというのと、一は茶事などというものは、頗る変哲なもの、殊更に形式的なもので、要するに非常識的のものであるとなせる等である、固より茶の湯の真趣味を寸分だも知らざる社会の臆断である、そうかと思えば世界大博覧会などのある時には、日本の古代美術品と云えば真先に茶器が持出される、巴理博覧会シカゴ博覧会にも皆茶室まで出品されて居る、其外内地で何か美術に関する展覧会などがあれば、某公某伯の蔵品必ず茶器が其一部を占めている位で、東洋の美術国という日本の古美術品も其実三分の一は茶器である、
然るにも係らず、徒に茶器を骨董的に弄ぶものはあっても、真に茶を楽む人の少ないは実に残念でならぬ、上流社会腐敗の声は、何時になったらば消えるであろうか、金銭を弄び下等の淫楽に耽るの外、被服頭髪の流行等極めて浅薄なる娯楽に目も又足らざるの観あるは、誠に嘆しき次第である、それに換うるにこれを以てせば、いかばかり家庭の品位を高め趣味的の娯楽が深からんに、躁狂卑俗蕩々として風を為せる、徒に華族と称し大臣と称す、彼等の趣味程度を見よ、焉ぞ華族たり大臣たる品位あらむだ。
従令文学などの嗜みなしとするも、茶の湯の如きは深くも浅くも楽むことが出来るのである、最も生活と近接して居って最も家族的であって、然も清閑高雅、所有方面の精神的修養に資せられるべきは言うを待たない、西洋などから頻りと新らしき家庭遊技などを輸入するものは、国民品性の特色を備えた、在来の此茶の湯の遊技を閑却して居るは如何なる訳であろうか、余りに複雑で余りに理想が高過ぎるにも依るであろうけれど、今日上流社会の最も通弊とする所は、才智の欠乏にあらず学問の欠乏にあらず、人にも家にも品位というものが乏しく、金の力を以て何人にも買い得らるる最も浅薄に最も下品なる娯楽に満足しつつあるにあるのであろう、
今は種々な問題に対して、口の先筆の先の研究は盛に行われつつあるが、実行如何と顧ると殆ど空である、今日の上流社会に茶の湯の真趣味を教ゆるが如きは、彼等の腐敗を防除するには最もよき方便であろうと思うに、例の実行そっちのけの研究者は更にお気がつかぬらし…

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