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九代目団十郎の首
くだいめだんじゅうろうのくび
作品ID46366
著者高村 光太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集第4巻」 小学館
1989(平成元)年4月1日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-01-10 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 九代目市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、国運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終ったわけである。彼は俳優という職業柄、明治文化の総和をその肉体で示していた。もうあんな顔は無い。之がほんとのところである。明治文化という事からいえば、西園寺公の様な方にも同じ事がいえるけれど、肉体を素材とせらるる方でない上に、現代の教養があまねく深くその風[#挿絵]に浸潤しているので、早く世を去って現代の風にあたる事なく終った団十郎よりは複雑である。団十郎はこの点純粋の明治の顔を持っていて、女でいえば洗髪のおつまのような其の世代の標式といえるのである。五代目菊五郎についても素より団十郎と同じ事が言えるわけであるが、菊五郎の方は余りに多く俳優であり過ぎて、その現われ方がむしろ旧幕の延長として意味があり、当代の文化一般を肉体化していたような趣のある包摂的な団十郎に比べるといささか世代の標式とはなし難い。
 私は今、かねての念願を果そうとして団十郎の首を彫刻している。私は少年から青年の頃にかけて団十郎の舞台に入りびたっていた。私の脳裡には夙くすでに此の巨人の像が根を生やした様に大きく場を取ってしまっていた。此の映像の大塊を昇華せしめるには、どうしても一度之を現実の彫刻に転移しなければならない。私は今此の架空の構築に身をうちこんでいるけれど、まだ満足するに至らない。私のもまだ駄目だが、世上に幾つかある団十郎像という記念像もみな物になっていない。浅草公園の「暫」はまるで抜け殻のように硬ばって居り、歌舞伎座にある胸像は似ても似つかぬ腑ぬけの他人であり、昭和十一年の文展で見たものは、浅はかな、力み返った、およそ団十郎とは遠い芸術感のものであった。其他演劇博物館にある石膏の首は幼穉で話にならない。ラグーザの作というのはまだ見ないでいる。団十郎は決して力まない。力まないで大きい。大根といわれた若年に近い頃の写真を見ると間抜けなくらいおっとりしている。その間ぬけさがたちまち溌剌と生きて来て晩年の偉大を成している。一切の秀れた技巧を包蔵している大味である。神経の極度にゆき届いた無神経である。彼の第一の特色はその大きさにある。いかにも国運興隆の大きさである。彼の実際の身の丈けは今の吉右衛門よりも小さい。五代目菊五郎と並んだ写真では菊五郎の方がわずかに背が高い。その短躯が舞台をはみ出す程大きいのである。彼は肥っても居ず痩せても居なかった。彼の大きさは素質から来ている。深みから来ている。血統から、荒事師の祖先から来ている。絶体絶命の大きさなのである。
 団十郎の顔はぽかりと大きい。その道具立の一つ一つがゆったり出来ていて、此は隈取られるために生みつけられた特別製の素材であった。其上に舞台上の修練によるあらゆる顔面筋の自由な発達があった。すべ…

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