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人の首
ひとのくび |
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作品ID | 46377 |
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著者 | 高村 光太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「昭和文学全集第4巻」 小学館 1989(平成元)年4月1日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2007-01-10 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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私は電車に乗ると異状な興奮を感ずる。人の首がずらりと前に並んで居るからである。人間移動展覧会と戯に此を称えてよく此事を友達に話す。近代が人に与えてくれた特別な機会である。此所に並んでいる首は、美術展覧会に於ける絵画彫刻の首と違って、観られる為に在るのではない。たまに、見られ、眺められ、感嘆せられ、羨しがられる為に在る事を自ら意識している様な男性女性に会う事もあるが、其とても活世間という一つの活舞台の中では、おのずから活きた事情にとりまかれて、壁上にかかり、台座の上に載っている作られた首の様にアフェクテエション一点張ではない。ロクでもない美術品の首よりも私はこの生きた首が好きである。此所に並んでいる首は皆一つの生活背景を持つ。皆一つの生活事情を持ち、毎日の生活に打ち込んでいる。或者は屈託し、或者は威張り返り、或者は想像もつかない悲に被われ、或者は楽しく、或者は放心している。四隣人無きが如く連れの人と家庭の内輪話をしているお神さんもある。民衆論を論じているロイド眼鏡の青年もいる。古着市に持ち出した荷物を抱えている阿父さんもいる。其がみんな自分達の内心に持っているものを思わず顔に露出して腰かけている。むしろ痛々しい程に感ずる時もある。
人間の首ほど微妙なものはない。よく見ているとまるで深淵にのぞんでいる様な気がする。其人をまる出しにしているとも思われるし、又秘密のかたまりの様にも見える。そうして結局其人の極印だなと思わせられる。どんな平凡らしく見える人の首でも実に二つと無いそれぞれの機構を持っている。内心から閃めいて来るものの見える時は其平凡人が忽ち恐ろしい非凡の相を表わす。電車の中でも時々そういう事を見る。
人の首の中で一番人間の年齢を示しているのは項部である。所謂首すじである。顔面では年齢をかくせるが首すじではごまかせない。あらゆる年齢に従って首すじは最も微妙に人間らしい味を見せる。赤坊のぐらぐらな項。小学校時代の初毛の生えた曲線の多い首すじ。殊にえり際。大人と子供との中間の人の首すじを見るのは特別に面白い。大人になりかかって行って、此所にだけまだ子供が残っている青年などは殻から出たての蝉の様に新鮮である。水々しい若い女の首すじの美は特に私が説く迄もあるまい。色まちの女が抜衣紋にするのは天然自然の智慧である。恋する女に向って最後の決心をする動機の一つが其の可憐な首すじを見た事にあるという話をよく聞く。自然は恋人と語る若い女性を多くうつ向かせる。其を見つめている男の眼は女の一番いじらしい首筋に注がれる。致命的なわけである。三十代四十代の男の頼もしい首すじ。又初老の人の首すじに寄る横の皺。私は老人の首すじの皺を見る時ほど深い人情に動かされる事は無い。何という人間の弱さ、寂しさを語るものかと思う。電車の中に立っていて、眼の下にそういう一人の老人の首すじを見る時…