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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46394
副題26 店初まっての大作をしたはなし
26 みせはじまってのたいさくをしたはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-04 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 かれこれしている中に私は病気になった。
 医師に掛かると、傷寒の軽いのだということだったが、今日でいえば腸チブスであった。お医師は漢法で柳橋の古川という上手な人でした。前後二月半ほども床に就いていました。
 病気が癒るとまた仕事に取り掛かる。師匠の家の仕事も、博覧会の影響なども多少あって、注文も絶えず後から後からとあるという風で、まず繁昌の方であった。私が専ら師匠の代作をしていることなども、知る人は知っておって、私を認めている人なども自然に多くなるような風でありましたが、私としては何処までも師匠の蔭にいるものであって、よし、多少手柄があったとしても、そういうことは虚心でいるように心掛けておりました。
 師匠は私の名が表面に出て人の注目を惹くようなことは好まれませんでした。世間の噂に私のことなどが出ても、私の耳へは入れませんでした。

 さて、とかくするうち、明治十年の末か、十一年の春であったか、日取りは確と覚えませんが、その前後のこと、京橋築地にアーレンス商会というドイツ人経営の有名な商館があって、その番頭のベンケイという妙な名の男と逢うことになった。
 この人は年はまだ二十四であったが、なかなかの利け者で、商売上の掛け引き万端、それはきびきびしたものであった。私は最初はこの人を三十以上の年輩と思っておったが、二十四と聞き、自分の年齢に比較して、まだ二つも年下でありながら、知らぬ国へ渡って、これだけ、立派に斬り廻して行くというは、さてさて豪いもの、国の文明が違うためか、人間の賢不肖によるか、いずれにしても我々は慚愧に堪えぬ次第であると、私は心秘かにこの人の利溌さに驚いていたのであった。
 このベンケイが師匠の家に来るようになった手続きというのは、当時菊池容斎の高弟に松本楓湖という絵師があった。この人は見上げるほどの大兵で、紫の打紐で大たぶさに結い、まち高の袴に立派な大小を差して、朴歯の下駄を踏み鳴らし、見るからに武芸者といった立派な風采。もっとも剣術なども達者であるとか聞きましたが、当時、住居は諏訪町の湯屋の裏にあった。アーレンス商会では同商会の職工に仕事をさせるその下絵をこの楓湖氏に依頼していたので、今の番頭ベンケイがその衝に当っている所から知り合いの中であったから、折々、楓湖氏はベンケイを伴れて駒形町時代から師匠の店に彫刻類を見に来たことがあったが、今度楓湖氏を介して改めてベンケイが東雲師へ仕事を依頼すべく参ったわけであった。当時の楓湖氏は今日の帝室技芸員の松本楓湖先生のことで、私よりもさらに五、六年も老齢ではあるが、壮健で谷中清水町に住まっておられます。毎年の帝展へは必ず出品されております。
 当日は両人で来て、仕事を頼むというので、どういう御注文かというと、唐子が器物を差し上げている形を作ってくれという。それは何に用うるかというと洋燈台になるので、…

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