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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46399
副題32 本所五ツ目の羅漢寺のこと
32 ほんじょいつつめのらかんじのこと
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-07 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この時代のことで、おもしろい話がある。これは神仏混淆の例証ではありませんが、やはり神仏区別のお布令からして仏様側が手酷しくやられた余波から起った事柄であります。
 本所の五ツ目に天恩山羅漢寺というお寺がありました。その地内に蠑螺堂という有名な御堂がありました。形は細く高い堂で、ちょうど蠑螺の穀のようにぐるぐると廻って昇り降りが出来るような仕掛けに出来ており、三層位になっていて大層能く出来た堂であった。もし今日これが残っておれば建築家の参考となったであろう。堂の中には百観音が祭ってあった。上り下りに五十体ずつ並んで、それはまことに美事なもので、当寺の五百羅漢と並んで有名であります。
 この百観音は、羅漢寺建立当時から、多くの信仰者が、親の冥福を祈るためとか、愛児の死の追善のためとか、いろいろ仏匠をもっての関係から寄進したものであって、いずれも中流以上の生活をしている人々の手から信仰的に成り立ったものであります。それで、各自にその寄進の観音をば出来得るだけ旨く上手に製作えてもらおうというので、当時、江戸では誰、何処では誰と、その時々の名人上手といわれている仏師に依頼して彫らしたもので、それが一堂に配列されることであるから、自然と自分の寄進したものが、他より優れているようにと、一種の競争心を生じ、一層このことに熱心になるという傾向を為します。一方依嘱された仏師の方でも、各名人たちの製作が並んで公衆の面前に開展されることでありますから、これも腕によりをかけるという風、伎倆一杯に丹精を擬らし、報酬の多寡などは眼中に置かないという有様となる。そして、その寄進された観音には京都の仏師もある。奈良の仏師もある。江戸の仏師が多分を占めてはおりますが、いずれも腕揃いであって、凡作は稀で、なかなか結構でありました。
 そして、その中には、五百羅漢を彫った当羅漢寺の創建者である松雲元慶禅師の観音もありましたこと故、私の修業時代は、本所の五ツ目の五百羅漢寺といえば、東京方面における唯一の修業場であって、好い参考仏が一纏まりになって集まっているのでした。もっとも、五百羅漢、百観音は、いずれも元禄以降の作であって、古代な彫刻を研究するには不適当であったが、とにかく、その時代の名匠良工の作風によって、いろいろと見学の功を積むには、江戸では此寺に越した場所はありませんでした。
 それで、私などは、朝から、握り飯を持って、テクテク歩きでこの羅漢寺へやって来て、種々と研究をしたものであります。日が暮れると、またテクテクとやって家へ帰る。他に便利な乗り物がないから、弟子も師匠も、小僧も旦那も、それだけは一切平等でありました。

 右の如く、羅漢寺は名刹でありましたが、多年の風霜のために、大破損を致している。さりながら、時代は前に述べた通り、仏さまに対しては手酷しくやられたものであるから、さながら…

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